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トラウマ昇華マンガとしての「未満れんあい」第三巻

「未満れんあい」の3巻出ました。
ほんとこの漫画はいい話すぎて胃が痛くなりますな。
 

●どうすりゃいいんだって前に進むしか無いじゃん●

この物語、簡単に書くと「アラサーのさえないエロゲプログラマーが、女子中学生に恋をする話」です。
(現行の連載ではもう30になりました。)
恋をする話、と書くと「恋に年齢なんて関係ないのよ!」と言いたいところなんですが、いやあ…ここまで30の男の姿を克明に描かれて、あまりにも読者にシンクロさせられると「いやいやいや…」とこっちが尻込みしたくなるから困る。
ファンタジーではあるんですが、彼の「自分が生きていければまあいい」という生活様式といい、オタク文化に染まって色々ドロップアウトしているところといい、人付き合いのいろはを若い頃に手に入れそこねて困惑する様を見ていると苦しくて仕方ないです。
漫画的には中学生の少女と付き合っていくことができたら、そりゃあもうハッピーエンド…なはずなんですが、どうにも30という年齢と彼の不器用さが目に痛すぎて、そっちにいっていいの?本当に大丈夫なの?と不安でなりません。ここまで「うまくいく」のが不安な漫画って珍しいと思います。
一番正しい選択は「16以上になるまで待つ」でしょうけれども、どうも彼はそんなことが出来る余裕すらないんです。
もう目の前の出来事と自分のコンプレックスでいっぱいいっぱいなんだよ!
ときめく三十路のための少女漫画。「未満れんあい」
そして、そんな無駄に一生懸命でなりふり構ってない奴のことは、嫌いじゃない。
自分の経験と重ねあわせて不安と恐怖にかられながらも、必死になる人の熱さを知っているなら、嫌いになれないんです。むしろ好き。共感しながら「がんばれ!」って言いたくて仕方ない。
でもがんばっていいのかどうか分からないよなあ……相手中学生だものなあ……。
 
前に進んでいいのかどうすればいいのか、「恋愛経験無し・人間関係トラウマあり」の主人公黒瀬さんには判断できません。
そりゃそうだ、自分だってわからないよ、と読者の「自分」を引きこむからこの作品はすごい。
自分だったらどうする? 自分だったら何を選ぶ?
読者の「自分」を剥き出しにするのは、少女ともえちゃんの無垢な瞳。無垢って言っていいのかは…また後で。
 

●トラウマとのお付き合い●

この作品、「恋愛経験」という初体験と「トラウマ」という拭えない経験の二つが絡みあっています。
新しいところに踏み出したい思いと、進む時にネックになる経験がぶつかりあってしまう。それが黒瀬さんの行動原理になっていきます。
トラウマ、というと大げさに見えますが、実際トラウマなんですよ。
漫画で描かれるフラッシュバックには、めまいすら感じます。

何が起きた、という詳細な描写はありません。
でも十分すぎます。これ以上見たくない。
 
黒瀬さん自体はかつて重い経験をし続けてきて、今はそれを一旦忘れて生きて行こうとしています。
しかしひょんな弾みでそれがこうやって蘇ってくるんですよ。
それは、トラウマから脱却しているわけじゃない、単に押し込めているからです。
残酷なことに、実際に向かい合わなければちゃんとした卒業が出きないのです。
 
ともえちゃんがそのトラウマをずっと、意図せずにほぐし続けていたわけです。
しかしこの巻でトラウマをほぐしたのが、全く知らない少年だったのはグっときました。

この子です。
彼については作中で直接語られることはほとんどありません。
でも彼が見えないところでいじめられており、苦難の日々を送っているのがほのめかされます。
黒瀬さんは経験者だから、敏感にそれに気づきます。
できれば!目を背けていたかったそこに! 気づいちゃうんです。
 
しかし、一度引き出されたトラウマがここで昇華されていきます。
自分がコンプレックスに思っていたことは、本当にコンプレックスだったのか?
視点を変えると実際はそうでもなかった…というのは誰か第三者と接しないと見えてこない部分です。特にこのコマ! 
黒瀬さん自身は「エロゲのプログラマーは人に言えない仕事」だと思い込んで、自分の才能も努力も何もかもを封印してきました。
それを夢にしている人が、いる!
自分が対して自慢にもならないと後ろめたく思っていることを、すごいとほめてくれる人がいる。
夢だと言って、なんの疑いもなくキラキラと輝く未来を夢見ている少年がいる。
しかも、彼はいじめられているのを口に出さない。
 
彼はトラウマによって、自分を否定する習慣を身にまとうようになりました。
死にたい、しかし死んだ後のことを考えると死ぬことすら出来ない、そんな袋小路な自己否定。
自己否定は、人から肯定され、それだけではなく自分から肯定していかなければ解決できません。
少女ともえちゃんが自分のことを肯定してくれる。黒瀬さん自身はこの少年に出会って自分を肯定することを客観的に理解できた。
3巻はともえちゃんとの関係が劇的に変わる巻でもありますが、同時に黒瀬さんが自分を探す巻でもあるのです。
 

●あなたのことを信じるわたしってまちがってますか?●

ともえちゃんは、純粋の権化のようにこの作品では描かれています。
もちろん中学生だからといって何もかも純粋なんてことはありません。人間ですもの。
しかし自らよどみの中に顔を突っ込んでいた黒瀬さんが、彼女を見ることでギャップが生じ、別世界の女神のように見えているのは当然でもあると思います。その視点を通じてみているので、読者から見ても当然ともえちゃんは純粋の権化。

このコマの対比はすごくこの作品を表している気がします。
左の黒瀬さんは、嘘ついているわけでもだましているわけでもないのにものすごく不安なんですよ。
自分に自信がないから。彼女なんかと吊り合う分けないと思ってるから。
中学生に対して純粋に恋愛する30男子なんてただの変質者なんじゃないかと恐ろしいから。
しかしともえちゃんの目はどうだ。
30歳前後? えっちな人? 髪の毛がもじゃもじゃ?
彼女はただ、単純に目の前にいる人の事を見ているだけです。
無垢とか純粋という言葉は便利ですが、彼女自身はそうなろうとしているわけじゃありません。意識だってしてません。
単に、目の前にいる黒瀬さんのそのままを見ているだけです。
 
ここで、この作品が誘致してくる「自分なら」が顔をもたげます。
もし自分がこうやって少女に見つめられたら、目を合わせられるだろうか?
嘘はついてない。ついてないけどこの真っ直ぐな視線に目を合わせる勇気はない。
なぜなら自分で自分を信じきれていないから。

彼女は言います。
私が「いい人だ」と信じているのは、間違っていますか?
あなたのことを信じている自分は間違っていますか?と。
 
これって、すごい効力ありますねよね。
「あなたのことを信じてます」と言われても「でもどうせおれは」と否定してしまうものです。褒められるほどに不安になります。
しかし「わたし、まちがってますか?」ですよ。
自分が一番信頼している子がそういうんですよ。
そんなの、信じないわけにいかないじゃないですか!
 
「未満れんあい」の向かう先がどこかは、分かりません。
大人の視線で見たら、それが正解かどうかもわかりません。
しかし黒瀬さんのトラウマは徐々にほぐれ、人間として一歩ずつ手に入れているものは確実にある。
それだけでこの漫画は十分救われている気はします。
それでも不安になるのは、読者である自分がまだトラウマとか自信とかほぐしていないからなのかしら。この夢と希望に満ちた少女漫画チックな世界をまっすぐに受け止められる日は果たして来るのか?
こういう現実を突きつけてくる作品だからこそ、その中に夢、見ても…いいよね。
いいって信じたくなるんだ。

「ありえないよ、バカじゃないの?」仮にそう言われてもなんでも「でも、でもっ!」と信じたくなるそんな作品。
それが恥ずかしくなるようなもがき苦しむ不器用な姿でもいい、むしろそれでいいじゃない。
 
関連
ときめく三十路のための少女漫画。「未満れんあい」
高嶋屋。(作者オフィシャル)
同人誌バージョンほしいなあ。