バーチャルアバターとお洋服とコギト・エルゴ・スム
ほんと、皇牙サキっていう黒ギャルVTuberはすごいよ。先を見通しながら、ひとつずつ噛み砕いて言葉にする能力が高い。バーチャルのあり方についての考え方が深い。ものすごく影響受けてます。
まずはこの記事読んで。
負の感情に対して考え方のパートは、とても生々しい。最近VTuber界隈は、負にとらわれがちだしね、見ている側もやる側も。その負の状態をおもちゃにされるだけは悔しいから、バリバリ進んでほしいと願うばかり。
んで、「自分って何者なんだろう?」の部分は、本当に「バーチャル」に向き合う時にややこしくて、大変なポイント。
ぼくは、サブカルチャーにどっぷり浸ってきて、VTuber文化面白いなーと追いかけ続けているんだけど、「じゃあVTuberになれよ」とよく言われるんだけど、なってからすることがないんだ。
今こうやってブログなり商業誌なりウェブメディアなりに、思いっきり書いている状態の自分が好きなので、はいVTuberの身体手に入れました、チャンネル持ちました、何出すの?と言われても、思いつかない。空っぽっていうか、仕事でも書ききれなくて追いつけない状態で、新しい身体持ってなんかできるのかって…いやー無理。時間と体力と、想像力がない。
それに「新しいバーチャルの身体手に入れて、お前はそれを一生使うのか?」みたいな感覚があまりにも強すぎて、無理だわーというのもあった。使い捨てとかあんまりじゃない?みたいな。でも少なくとも数年愛せるのかというと、自信はないなあ。仮に3Dの身体作るとして、それだけの時間をかける、それだけに見合うお金を払う、目指すものがあるのか?
好きなアニメ・漫画キャラクターはたくさんいるけど、それは愛しているだけで、なりたいわけじゃないんだよ。ぼくは惣流・アスカ・ラングレーや城ヶ崎莉嘉が好きだけど、惣流・アスカ・ラングレーや城ヶ崎莉嘉になりたくはないんだよ。
ここでハッとさせられたのが、REALITYのWFLEの荒木英士さんことDJ RIOさんの活動。
以前ぽんぽこ24の「有識者会議」でお話させていただいたんですが、ぼくのモヤモヤに対してさくっと、バーチャルアバターは洋服であることを述べていました。ようは何着も持っていていいし、もっとカジュアルでいい。バーチャルになることを、覚悟するほどに重く考えすぎなくていい。
普通に働いていて、仕事に行くスーツ、学校に行く制服、外出着、部屋着、遊び着、ジャージと人間使い分ける。アバターだってそれくらいでいいんじゃないのと。
自撮りが楽しすぎる・・・#DJRIO_ART pic.twitter.com/tt3J0Prf6P
— Eiji / DJ RIO (@eijiaraki) January 3, 2019
最近荒木さんは、DJ RIOというアバターを自分のポケットマネーで作り、自分で色々設定し、活動させています。これがただの道楽じゃないのがすごい。DJ RIOの身体で登壇とか取材とか全部やっていくつもりとのこと。最初「えっ、グリー取締役が?」って思ったけど、VTuberを運営する母体になる人が率先してやらないと、バーチャルの未来は確かに開かない。目標がそっちなら、自分からやらなきゃ、ということらしい。
しびれる。
彼(彼女?)の発言に、ぼくの「バーチャル」観はすごく影響を受けています。
そもそも「VTuber」はエンターテイナーなわけで、みんながみんなエンターテイナーになる必要はない。「こんな身体手に入れたぜ!終わり!」で別の身体手に入れるだけでも十分。
今6000体ものVTuberがいる、多すぎる、という声はよく聞くけれども、表に出ているバーチャルアバターが6000しかない、だと思う。日本人、世界の人みんなが「サマーウォーズ」のOZみたいに、別に発信するわけでもないアバターを持つようになる時代はそう遠くないと思っているので(すでにSNSが広がって、アイコン使っている時点で、バーチャルの層にいるみたいなもん)、その中の6000人は、思い切って足を進めた偉大なる開拓者ですよ。まだ一年しか経ってないぞ、どうしても焦りすぎちゃう。
だからやめたり、休止したり、転生したり、飽きたりするのも全然ありじゃないかなーって。天開司が、苦しんでいるVTuberに対して「休め!」と言っていたのがすごく印象的だった。
人生単位で考える。絵を描くのも文章を書くのも音楽の練習するのも、年単位、人生単位。なんかやるならそのくらい。嗜むなら「ライブやる気ないけど楽器触ってみた」程度でいいんだなーと。
その上で、洋服みたいに着たり脱いだりしたい。粗末にガワを扱うのは…と思ってたけど、自作のアバターは粗末に扱うのもありかなーと。いやそんなことは多分絶対できないけど、とりあえず作ってグレードアップするとか、後々別のものに変えるとか、もっと気楽でいい。
「自分って何者なんだろう?」という点では、サキちゃんのようにVTuberとして活動する熱意を持っている人はとても苦しみ、かつ強力な武器になる部分だと思う。プロ作家が技術を身につけるのと同じ。
けどぼくみたいな「お洋服買いに来ました!」くらいなら、「自分」っていうのはリアルの自分の延長(ロールプレイしない)でいい。
限りなく現実に近い生き方のまま、新しい洋服を着れば、新しい場所に行ける。それだけなんだよなあ。
となると、やっぱり「じゃあリアルな自分自身は何をしたいのか」を見つめ直すことに戻ってくる。
バーチャルは逃げじゃない。ビジュアルは自在だけど、むしろトータル的な「自分」との向き合い方には、何らかの形で発信する分、リアルより現実を突きつけられる。
リアルとバーチャルの「自己」を考えている時に、自己があることを証明できる、コギト・エルゴ・スム的な。
とりあえず、格ゲーで好みの女の子キャラ選ぶくらいの感覚で、アバター作りたいです。
ロールプレイとアバター性については、この動画が面白い。