たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

これで分かる(気がする)涼宮ハルヒ第13話ダイジェスト

27日の日記を間違って消していたので、復帰させました。たまごまごです。MUSASHIののろいかもしれません。
 

なんと、13話では衝撃の展開が!ストーリーを追ってみます。
 

キョン「お、古泉じゃないか。どうしたんだこんなとこで。」
古泉「ちょっとあなたに、いつぞやの約束を果たそうと思いまして。待たせてもらいました。乗っていただけませんか?」
キョン「え?あ、ああ、いいけど・・・」
キョンは怪訝な顔をしつつも、まんざらではないという様子だった。古泉は、キョンの顔をじっと、何かを考えながら見つめる。

古泉「覚えていますか?ぼくの超能力をお見せすると言っていたこと。」
キョン「ああ、覚えているよ。信じちゃいないけどな。」
古泉「そうですか。ぼくはいたってまじめなんですけどね。」

古泉「そうですか・・・あなたのせいですよ。こんなにぼくを惑わせるのだから。」
古泉は悩ましげに首をたれた。
キョン「な、なんのことだ・・・?」

古泉とキョンの間に、長い長い沈黙が続いた。永遠に続くのではないかと思うくらい、長くて張り詰めた空気が二人を取り巻き続けた。ただ、見詰め合った二人の視線はただならぬ温度を持ち始めていた。その唇の出そうとしている次の音に体中の神経がとがり、車の走る音など、耳に入らなかった。

古泉「あなたのことが・・・好きだということです。それが僕の、超能力です。」

キョン「ええっ!なっ!」
キョンはあまりのことに声を失った。その目は古泉と宙の間を行ったり来たりと泳いだ。

古泉「あなたのことを思う力、その愛の力が、ぼくを激しく動かすんです。これが超能力と言わずになんといえばよいのでしょうか。涼宮さんや、長門さんや、朝比奈さんや、鶴屋さんや、妹さんや、シャミセンのことをあなたが好きなのは知っています。しかし、ぼくの予知能力が知らせるのです、あなたとの愛は、間違いない本物だということを。」
キョン「古泉・・・」心が荒れる。自分の目の前にたたずむ古泉に、キョンの視線はくぎづけになっていた。

古泉「目を・・・閉じていただけますか。」
キョン「えっ!あ、うん、わかった・・・」
キョンは恐る恐る目を閉じる。色々考えがまとまらない。しかし、あながち抵抗する気にもなれず、ただ古泉の言いなりになるのだった。

ぎゅっと古泉の手がキョンの手を握る。キョンは体にびくっと痙攣のようなものを感じながら、そのぬくもりを感じていた。
古泉の手ってあったかいな・・・

古泉「ぼくはあなたに、すべてを預けてしまっていいと思っているんです。あなたの・・・すべてを知りたい・・・」
キョン「んっ・・・く・・・」
二人が唇を重ねあおうとしたその瞬間、

どどーん!
古泉「しまった!シシ神さまだ!」キョン「なんだって!」
古泉「シシ神さまが愛の力を感じ取って、怒りにふるえておられる!」キョン「どうすればいいんだ!」

古泉「ぼくが・・・なんとかします。必ず、必ず帰ってきますね。」
キョン「古泉ーーー!」
 
続かない。
 
まあ冗談はさておき、感想。
12話はわりと誰が見ても面白い回だったのですが、今回の13話は、これだけを誰かが見ても、ちっとも分からない作りになっています。というのも、今まで小出しにされていた伏線が徐々に組み合わさって、まもなく完成する寸前のジグソーパズル状態だからです。
ずーっと古泉がこの世界の説明を語り、それをキョンが聞くという構成なのですが、なんやらやたら難しい。乱暴にまとめると、閉じられたハルヒの世界と、現実の世界の狭間を行ったり来たりしてるわけです。キョンと古泉は、その両方を客観的に見ています。長門もかな。

今回特筆すべきは、ハルヒの語りでしょう。「ライブアライブ」以前が、めちゃくちゃをするとんでもない子、という感じでしたが、今回の「世界感覚」「身体感覚」は、子供特有の誰もが感じることじゃないでしょうか。
人間が発達段階で、「自分と母親」→「自分と家族」→「自分と学校」と社会観が広がっているとき、ドン!とでかい世界を見ると、ものすごい勢いで価値観を破壊されます。
「自分が特別」というのも、幼い頃特有の身体感覚だと思います。自己と世界があやふやな境界線しかない。あるいは未分化のままかもしれません。発達していくにつれて、他を許容して、自己を「現実の世界」の中で見つめようと努力します。その時期は人それぞれに異なり、ある人は小学生で、ある人は50代で、現実世界と自分を比較できるようになります。
その境目が「思春期」。自分が特別という思いと、社会のでかさのギャップがぶつかって価値観が狂うとき、ある人は物や人にあたり、ある人は自己の中に埋没していきます。それが、今回語られる「憂鬱」という名の閉鎖空間なんでしょう。
特に21世紀のこの時代、その「憂鬱」な世界を胸に抱えた人は多いでしょう。自分もでした。情報があふれ、世界の広さを簡単に知ることができる社会になりましたが、それを発散させるシステムがまだ完成していないです。誰もが、青い巨人を持っている、あるいは持っていたでしょう。
客体化された少年少女の視点の世界、それが今回はうまく描かれているなと思いました。
来週の最終回で、どんなまとめ方をするのかが、肝になりそうですネ。
 
とは言ってますが、自分の中の「涼宮ハルヒの憂鬱」は、ぶっちゃけ「ライブアライブ」で完成されてしまった気がします。あの開放感が、気持ちよすぎてナー。まあ、次にくる最終回よりも後日の話になるそうなので、そりゃそっか。
こういう、最初にある骨組みはナイショにして、肉づけをどんどんすすめて最後に完成形がはじめて見える、という構成の仕方、今後の作品にも影響していくんじゃないかなー?と思ったりします。
 

ENOZの曲をバンド演奏してライヴをやろう企画。こういうのすんごいいいな!アレンジとかするのならものすごく聞きたいです。聞いてどうこう言うのは簡単ですが、こうやって実行にうつして演奏できるバイタリティって感服します。こんな形の音楽展開も、ありですよネ^^