たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

萌え→ ↑ ←エロ これがアウフヘーベン(ぽいやつ)

  • そもそも「萌え」って何よってとこからです。

パソ通時代は「萌え」=幼女・少女に興奮するサマ、っていう意味合いだったので、どうしてもそのイメージが抜けません。つまりロンリーロリー。
だから、ちまたで「萌えですねー」とかテレビで言われるといまだにちょっとドキっとします。
しかし、実際のところは「ぬこに萌えた」とか「硬派ロボ萌え!」とか使いますネ。
 
「萌え」には性的なニュアンスは含まれていない(みぎ見て、ひだり見て。)

オタク業界の偉い人が「かわいい女の子の喜怒哀楽を、離れた位置から“愛でる”」気持ちと説明しているが、いままで見た中で一番的を射た説明だと思う。
自分としては、萌え対象は女の子に限らないのと考えるので「魅力的なものを離れた位置から“愛でる”気持ち」としておく。

「古語の「をかし」みたいですね。」このコメントにものすごく納得しました。ははー、そういう新しい何かをあらわし、包含する言葉としてみることもできるのか。
 
エロに関しては、先日の図のように、一部含まれて入るとは思うんですよ。
ただし、そうである部分がある、というだけでイコールではない。
オタクが、アニオタ、レイヤー、鉄っちゃん、ゲーマーなどわかれていったように、「萌え」も分化していくべきなのかもしれません。ただ、「をかし」のような使い方だとするならば、大きな意味で使うのは便利ですね。
しかし、ここで問題になるのは「んじゃオタクはエロくてキモいね」となりがちなこと。そのへんおおらかな気持ちで流せれば一番いいんでしょうが、わざわざエロに直結させてしまうのはあんまりいい気分しないですよね。
 

  • 「萌え」が男女のエロを含んでも、イイジャナイ。

ただね、「萌え」に性的な関心を含んでもいいじゃないか?ッて思うんですよ。きちんと作品として昇華されているならば、性的関心はむしろ胸を張って見せることのできる材料なんじゃないかな?と。
(ただし、低俗で劣化コピーな性ならば、日本人としては恥ずべきとこかもしれません。)
かつて、絵画や小説で「性として過激」といわれ発禁になった作品たちは、今見るとある意味純粋なわけですヨ。
江戸川乱歩の「蟲」「人でなしの恋」「芋虫」「人間椅子」等々なんて、今で言うカルトな名作と呼ばれる作品のひとつの形だと思います。ってかまあ、今でもグロかしら。サブカルの域は脱せませんが、それでも作品です。あからさまな性です。
「萌え」や「フェティシズム」が作品の大きな根本的テーマになって、こだわりをもってその作品を作り上げていくならば、それが性的であればあるほど、意味を持っていくものもあるんじゃないかと、好意的な視点で思ったりします。
指さして笑っていたものが、極まったときにはスゴイんじゃないかな、と。
 
結局、「萌え」ってなにかっていうと、ナルシシズムなんだと思うんですよ。
○○が好きな自分をアピールするから、「萌え」っていうんじゃないカナ?
それが好き、なんじゃなくて、「それが好きな自分が好き」。ほんとうにフェチな部分が後ろめたければ、言えないですもん。
だからこそ、コレを突き詰めれば作品をうむ原動力になるんですヨ。

  • 「萌え」で隠すより、「萌え」でなにか生み出したい

オタク界隈の外でも失われない、「萌え」の重要な機能(シロクマの屑籠(汎適所属))

「萌え」という言葉が便利ゆえに、逆に「あいまい」になってしまうというのはあるよナア。「エッチしたい!」じゃなくて「萌えー」でごまかすサングラス。曇りガラスの向こうは雨の町ですよ。
個人的には「プリキュアSSの咲と舞はもう二人で色々やったあと日常のようにベッドから登校するんです朝のシャワーは二人で一緒です!」ってはっきり言ってしまったほうがネタ的にも面白いと思うんですが、そのへんも恥じらいというか距離感で「SSの咲と舞の関係って、萌えだよねー」ですむ。楽といえば楽。つか書いてて恥ずかしくなってきました。ヨエー。


このへんがひとつのカベ。
 
エロ妄想と萌えの入り混じったところを、別の形に表現したら、あるいは共有できる仲間と形にしていけばいいんだ!と思いました。
ただし、それはあくまでも最初はオナニーだというコトもわきまえないといけないかもしれません。誰かに向かって「萌えだ」とか言っちゃダメだし、作品にしたものも押し付けたらダメ。一部でそういうのを押し付けるから、「オタクはエロでキモイ」というイメージになりがちなのかなと思います。
だから、擁護なんですが、二次元オタクは最初はひとつの「妄想遊び」として始まるのが正解なんだと思います。
恥ずかしがるよりは、開き直りつつも昇華していくべきだとすら思ったりします。そこからさらに好きな部分をフェティッシュであろうと突き詰められれば、何かが生まれるんじゃないかなと。
 

こっから先は極論。
この日記で何度も「敬愛している」と書いた「ヘンリーダーガー」を思い出します。
彼はいわゆるひきこもりで、本物の女性を見たことがありませんでした。
ただ、雑誌やテレビで出てくる少女たちに心から純粋な感動を抱き、それを絵にしたためます。「ヴィヴィアンガールズ」の誕生です。
その少女たちには彼の中の「性」の象徴である「ペニス」が必ずついています。
彼女らはセクシャルなことはされませんが、全員残虐な形で殺害されると言う形で愛でられ、昇華されます。
誰に見せるわけでもない。自分のために描いた絵画。
これこそ「萌え」の究極形なんじゃないかと思うのですよ。芸術化までつきつめられた。
 

  • とりあえず自分の中の結論

もっとも、自分もそうですが、オタクの純愛は1クールなのが欠点です。ハイ。
だけど、思い切って自分の中で思う存分にフェチズムを追及するのが楽しいし、それを表現できればいいな、と思うんだナ。
「萌え」という言葉は便利な反面、後ろ指もさされます。だけど、せっかくあるなら有意義に使いたいトコロ。
人に迷惑をかけずに、どこかで昇華しつつ、「萌え」のオイシイとこは変に肩肘張らずに楽しもうと再確認できました。
というわけで、おいらちょっくら、乃梨子瞳子を妄想してくる!しかも乃梨子はじらし攻めです!ほんじゃあネ!