たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

恋愛感情と百合とマリみて

いやいや、マリみてで描かれているのはまさに恋愛感情でしょう(おけぐわの日記)

マリみての中に描かれている恋愛感情について書かれています。

別に、「恋愛はアイデンティティを確立する手段に過ぎない」なんて醒めたことを言いたいのではありません。アイデンティティが確立していく時期においては、誰か特定の相手に自分を認めてもらいたいという要求はまさに恋愛感情の発露に他ならないのです。

えーと、まず恋愛感情の前に。
「百合」は「ビアン」かそうでないか問題は以前も書きましたが、ある程度わけるべきだと思ってます。
それは百合を楽しむためにレズビアンを排除する、という非常識なことではなく、「百合」という言葉をヘテロの人が思い込みでビアンの人に押し付けるのが失礼だと思うからです。
「百合」という言葉にアダルティななにかを感じて抵抗があるとか、清純さを押し付けていやみがあるとか感じるならば、別の言葉でも一向に構わないと思います。
百合がアレなら、GirlsLove(ゲイに対してのBLにの位置のような感じで)の方がいいのかもしれません。あくまでもいっしょくたにはできません。その上でマリみての中の「恋愛」について。
 
マリみてキャラや、いわゆる「百合作品」がテーマとして描いているのは、そのキャラ個人の生き方と、相手との関係性だと思います。
(記号的に女の子どうしイチャイチャしてるのも多いですが、それはそれで。)
にしても、なるほど、アイデンティティかー。非常にストンと腑に落ちました。
青い花」でもそうですが、相手を好きになることは自分への直面でもあります。
マリみて」でいえば、裕巳や瞳子志摩子の苦悩がまさにそれかもしれません。
それを映す鏡であり、また支えになるものとしての人間関係。確かにそれがマリみてキャラの中には存在しています。祥子であったり、乃梨子であったりです。
 
実際問題、恋愛感情ってのは「どこからどこまで」というものではないですよネ。
実は今この時にあなたがもっているのが恋愛感情かもしれませんし、逆に愛だと思っているものは恋愛でもなんでもないかもしれない。
そこに無理やり名前をつける必要は、ひょっとしたらないのかもしれません。
ただ、たまたまそれを第三者が見てわかりやすくするために「百合」という称号を、マリみてに冠しやすかったのかもしれません。本来のレズビアンとごっちゃになっていた「百合」とは別の、ですネ。
しかし根底に「関係内における心理描写を描こう」とする動機はあると思います。間違いなく。

だったら、どうせ区別がつかないのだから、恋愛感情だとしておいた方が幸せです。ほんとのことに気付くのはずっとずっと後でいいのです。

「姉妹(スール)制度」ってのはほんとよくできたもんで、そのへんの曖昧さに迷ったときに型にポンとはめるのにぴったりです。それが逆にカセになる場合もありますが、そこで葛藤したことによって傷ついたり成長したりすることは恋愛そのものですネ。
マリみて」の感情が非常に恋愛らしい、というと同時に、「これはこの感情」とそれぞれが別な気がしてきました。当たり前といえば当たり前なんですが、個々がそれぞれ繊細に描かれること、それが作品として一番大事なんじゃないかなと思っています。
という良質記事を踏まえて、マリみて感想へ。