たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

百合視点から見たマリみて「大扉小鍵」

瞳子乃梨子と結婚すればいいのに!」
ここ数日そんなこと考えてました、っていったらいつもだろうと言われました。
電話で興奮して「瞳子乃梨子と結婚すればいいのに!」って言ったら「そうだねー」って流されました。
落ち着かなさすぎです。そんなこんなで冷静に感想書けずじまいでした。
あ、とりあえず今のとこネタバレはありませんよ。
言っても、かなりすばらしい文章で感想が各地であがっていることでしょうから、
うちのサイトらしく「百合」視点から、紹介ではなく思考をめぐらせて見たいと思います。
とりあえず「瞳子乃梨子と結婚すればいいのに!」って言わないで感想を書こうと思います。
  
以下ネタバレ。
 

 
だからね、瞳子乃梨子と結婚すればいいんですよ。
 
さて、各地で絶賛されているように、今回は非常に密度の濃い一冊でした。
それはキャラクターの魅力、ストーリーの流れ、そして人間関係の繊細な描写においてです。
 
以前「百合」というのは人間関係をあらわしているんだ、ということを書きましたが、今回はまさに今野先生のその部分に対しての考え方が描かれているように感じました。
何人かのキャラごとに分解して、人間関係の描き方を探ってみます。
 

安西先生「まるで成長していない・・・」と思わせる暴れっぷり。彼女の一人語りシーンは異彩を放っています。どんだけわがままなんですかあなたはラブリー。
いやいやでもね、由乃さんは成長してると思うんですよ。普通だと思うんですよ。むしろ周りが成長しすぎています。

「裕巳さん、一人で大人にならないでよ」

彼女の世界観はここに集約されている気がします。なんだかんだ暴れていても、令ちゃんとの妙なストロベリ空間を彼女は無意識に作ってしまっています。
「ばっかだなー由乃さんは」と思いつつなんだかかわいらしさを感じたら、それが成長している証拠。
色々否定していたり、志摩子さんに対してまたイチャイチャしてほんとその笑顔ずるいッスと思ったりしながらも自分もやっぱりその「少女空間」にいます。
斜めに達観しているかのような彼女ですが、他のキャラに比べて彼女の視野はまだまだ狭いです。だから、他の少女たちに対して嫉妬したり憧れたりする感情も人一倍強いと思いました。
裕巳たちや志摩子たちの関係に比べると、ただただ純粋な感情に近いのかもしれません。それは恋愛とも友情ともとれない、けど簡単に切り捨てられない何かであることは、本人もわかっているのかもしれません。
つうかぶっちゃけ、乃梨子志摩子がイチャつくための伏線かわりに出てくるツッコミキャラだと思います由乃

  • 裕巳

なんと今回「一回も一人語りしない」という客観でのみ描かれたキャラです。主役なのに。そしてだれもが今回の彼女を見て「ほんと成長したな!」と思うことでしょう。
ものすごいネタバレになりますが、「何らかの形にとらわれず二人の関係を築く」というのは、非常に高度なことだと思うと同時に、まぎれもなく「恋愛」の高次元の部分だと感じました。
人は恋愛をするとまず「彼氏・彼女」になる、という形を求めます。特に中学・高校時代はそう思いますよね、誰しもが。それはごく自然のことですし、そうすることで心の整理がついたり生活しやすくなったりします。しかし、それはあくまでも「自分の中での相手の位置」に一定の旗をたてることで安心感を得る行為に他ならず、時にはその恋人像とのギャップに悩んだり、また「恋人」になることを恐れて付かず離れずの中で悩んだりします。
それは大人になっても同じこと。なかなか難しいよね恋愛の距離感。
「姉妹」という言葉を「恋人」に置き換えましょう。ひな型として。

「姉妹」という関係に抵抗がありうまくいかなくて悩んでいたが、お互いが非常に好き。
「恋人」という関係に抵抗がありうまくいかなくて悩んでいたが、お互いが非常に好き。

裕巳はそれを前々回前回と乗り越え、「二人がそれぞれの位置で関係を保てれば、形は別にかまわない。」というあまりにも大人すぎる視点に立ったのです。これは、まぎれもなく、思春期から大人になるときの「人間関係の捉え方」そのものじゃないかな?。
マリみて」の「百合」の本質、二人の言葉にする必要のない関係性を、本当に繊細に描いている巻。
百合を説明するのに、もってこいのエピソードだと思いました。
今回裕巳は何も語りませんが、おそらく葛藤は怒涛のようにあるだろうな、と思うと胸が痛いです。
特に、瞳子に100数えさせるシーン。いくら成長したとはいっても、彼女もまだまだ子供です。どれだけ辛かったか、どれだけ歯をくいしばらねばならなかったか。好きな人に信じてもらえない悲しさ。それをあえて描かないことで、瞳子の気持ちがクローズアップされました。
あのシーンは何度読んでも辛い。がんばれ裕巳!
 

百合マスターの称号を得ました。おめでとうございます。
理由は3点
1、気づかないうちにストロベリ空間を作れる
  意識せずにラブ風味を出したあなたは勝利者です
  乃梨子のツンケンした行動って「誘いうけ」だと思いませんか?
2、必死になって思う気持ちが暴走しているあたり、恋は盲目感を感じさせる。
  割と馴れ合いになってきた志摩子さんに対してもまだオドオドするあたりの初々しさときたら!
  瞳子に対する必死さも好感度高いです。
  まず何よりも「姉妹制度」が当たり前で、そうであれと自然に願ってしまっている時点で、
  百合に染まってしまっています。
  あんなに最初は「けっ」って感じだったのにネ。
3、ただ、そばにいればいい。
  志摩子さんに対してもそう。瞳子に対してもそう。
  ただ、そばにいて安心する人。それが乃梨子
  百合という、恋愛であり恋愛でない形を体言するかのようなキャラでした。
 

恋愛的なジレンマ、というより今回は「自己を見失った少女」という感じでした。
偽りの顔を演じるのが上手な少女。隠し続けていたもののある少女。すべてを自分の手で破壊してしまった少女。彼女がいるのは、永遠に続くのではないかと思われるほど真っ暗な、100を数える数字の闇の中。
冷静に「百合」的観点で見ると、今回は裕巳との関係はさほど大きな問題点ではないと思いました。それは裕巳がある意味高次元の恋愛にいって歩調をあわせてくれているからもあるのですが、彼女にとって今裕巳の存在は、自分の位置をうつす大きな鏡、ふと見たときに何もかもだいなしにして自分が何なのかわからない状態だと思いました。
あ、でもこれって恋愛初期にもよくありますね。付き合ってみて、初めて自分に気が付く。そして、お互い傷つけあって別れてしまう。
もし二人の位置が、裕巳の言うように「それぞれの位置で、形にこだわらないで好きでいられれば」本当にいいのですが、瞳子は家庭の事情もあってジレンマ真っ只中。
自分でリストカットするかのような彼女の言動を見ているともうつらくてつらくて。
そこに・・・・・・そこに百合マスターが!
 

脳みそが百合です。おめでとうございます。
 
今回のマリみては、「百合ってなんだろう」だけではなく「人を好きになるってなんだろう」まで考えさせてくれる中身でした。
ただ、純粋に、人を好きで好きで恋い慕う気持ち。
これって、誰もが経験しているものじゃないでしょうか。小学生時期かもしれませんし、今このときかもしれません。
その感情をもったとき、何らかの問題で「恋人」の形を作れないから悩むか、それらにかかわらず、自分たちのこの関係は、それでいい、と思えるか。
後者をとった裕巳は本当にすごいです。自分にはできないなあ。
裕巳の気持ちについてほとんど語られなかった中で、彼女が何を考えてすごしたのかを思いながら二回目を読むことを強くオススメしたいです。
「個性」という名前の「性」が、だんだん立ってきた気がします。
こっからは、よい方向に向かうのみ、と信じます。たとえば乃梨子瞳子がくっつくとかです。乃梨子瞳子です。これは決まりました。脳内で。