たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

百合だと思えばそれは百合。

百合とアニメOPでメディアリテラシーを語ってみる。(きじるしの不思議)
百合記事ですのう。別にね、百合って言ったってそろそろ自分も大人になってきたっていうか動じなくなったって言うか・・・はっ!釣られた!
火魅子伝」はノーマークだったんですが、OPの歌詞と絵を見る限り、コレは間違いなく百合にしか見えませんね。
あ、とりあえず本編は知らずに書いてます。
んで、オチを見ると。ははー、なるほどねな感じ。
いや、いいんですよ。その友達の恋人は女の子なんでしょう?でしょう?(脳内補完
 
にしても、もし自分がこのCDを「ステキ百合ソング!」と思って買いにいったら、びっくりだろうなあ。歌詞自体が短い中にどれだけ詰め込めるかに挑戦しつづけるジャンルの言葉だと思うので、たった1言変えるだけで印象ががらっとかわってしまうものです。
ましてやCDでは2番だったものをOPで1番にするって、それはマリみて瞳子編から読むようなものじゃないですか!
・・・瞳子
(錯乱中のため少しお待ちください

そんなわけで、私は文章抜粋式の国語のテストが大嫌いです。(意見が飛躍しました)せめて、その著書の全文章。
できれば、そこに至るまでの経歴からその人の著書、その本が書かれた時代背景を知りたくなります。
だから、私は国語のテストが苦手でしたorz

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」だけを読んで、参考書が「苦労していきていこうと思ったんだね」的なこといわれるとアームロックかましたくなります。
太宰治の「走れメロス」だけを読んで、参考書が「メロスは友のために頑張ったんだね」的なこといわれるとアームロックかましたくなります。
いやまあ、ソレもありだと思うんですけど、根本的に違うじゃないですか、その人をある程度知っている人からすれば。
メロスが友情物語じゃないというのは、太宰治の生き方も含めて中学校で教えられるようになりはじめているようですが、あんまりふかーく教えるとアレなとこもあって、うーん。でもきじるしさんの不思議さんのおっしゃるように、人を知らないと作品って分からない部分もあります。
 
とはいえ「じゃあその作家のこと全部知ってから感想書けよ」というのも間違い。作品は作品として単体で構成されるべきですし、それで楽しむべきだと思います。変に視点を増やすよりは。
しかし、その作品すらも切り貼りで一部だけだと、情報はおかしくなりますね。
ニュースとかでコレやったら怖いだろうなー。
 
事実に対してこれはまずいけど、創作に対しては実はここがファン視点としても「狙い目」だったりします。
オタクに深読みの余地を与えるのは、地味に作品としてのテクだからだと。
大して内容しらないし、歌詞は実は違うのにうちの中では「火魅子伝」は百合認定されました。おめでとうございます。なにが?
同じようなことはBLの方が激しいでしょうネ。会話のはしばしに、やおってないシーンなんだけどやおい臭ただようセリフがあるとキャー鼻血ブーになるわけです。
釣られた!というべきか、むしろ釣って!というべきか。
虎視眈々とエサがおりてこないかと、自分なんかは狙いながら本を読み続けるのです。うがってますね。そうですね。
あ、どんどん釣ってください。個人的にはよい百合妄想あれば釣られますので。
自分の脳内はいつもこんな感じです。