たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

オタクの世代交代進行中?

  • 旧型オタクと新世代オタク

いやね。以前書いた「オタクは人にすすめたがる人種。」を紹介してくださったサイトさんの意見が非常に興味深くて、気になっていたんですよ。

それはどっちかというと旧世代オタクですね。最近の人達は「自分だけ楽しめればいい」っていう感じですね。
(winterbeeのネタ貼り帖(仮))

自分なんかはガンダム世代ではないけどエヴァど真ん中のオタクという感じです。その世代の人はわりと「好きなものは人にすすめる」意識があったんですよね。極端な例としてよく使われていたのは「保存用、鑑賞用、布教用の3冊買うんだ」という言葉。自分の周りのオタクコミュニティに、好きなものをすすめたり共有したいという気持ちが時々暴走するんだよ、っていうのをうまーく表現している言葉だと思います。あ、自分もほんとに好きなのは2冊かって布教にいそしむことがあります。ハチクロとか。
しかし、この意見を読んで「そうでもない人が増えている」ことにわりとびっくりしました。

自分だけ楽しめれば良いと思うのは人様に勧められるようなジャンルじゃないから。
ブログで好き放題書いてるからいいけど
(チラウラ)

あー、納得。
つまりは「隠れオタが多い」または「オタ趣味を隠しやすい」時代になったということでしょうか。

  • 数年前のオタク事情とコミュニケーション。

回顧な話になってアレですが、10年くらい前はオタクはちょっと人数的には少なくて、趣味を共有する仲間を渇望して砂漠を這い回る兵隊のような存在だった印象があります。すいませんちょっと大げさです。でも1割くらい本気です。残念ながらそれ以上昔の世代のオタの状況は伝聞程度しかわかりません。
これは別に「昔のオタクは差別されていた」とかという意味ではないです。理由はあると思うんですよ。
一つ目は、何よりも情報量が少なかったこと。マンガの新刊がなに出るかは本屋まで行ってリスト表をチェックしなければいけないし、作品の評判も手に入らないから自分で確かめて一喜一憂するしかない。映画やアニメが大好きでもビデオ録画をし損ねると大変なことになるけど、LDやビデオテープは買うにはちょっと場所を食うし高い。とにかく好きなものを見るには自分の足で町中駆け回らないといけないわけです。仕事するようになったら、コレは確かにできなくなりますネ。
二つ目は、周辺でそのような会話が出来る人を探す手段がないこと。クラスでなかなか話せないからアニ研を作ったり美術部がマン研化していったり、草の根BBSやニフティー、ニュースグループなどを駆使して会話のあう人を探したり。あとはコミケ。大人になっても共有できるオタ仲間が見つからず、一人たしなんでいた人も決して少なくないでしょう。ましてや「やおい」とか「ロリコン」みたいな亜流な流れのオタだとさらにきつい!けど同時にそこで結びついた仲間の結束は異常に固くなり、今も続いている人は多いと思います。
三つ目は、自己表現の場が極端に限られていたこと。草の根BBSがあるとまだ絵や小説の発表もできるのですが、パソコンがないとアナログに描いてコミケで売るくらいしか手がないですもんね。今でも一部の女性創作などのジャンルでは、この構造は同じだと思います。そうなるとコミケでの出会いは非常に重要になってきますネ。コミケのために生きている!なんて人もたまにいますが、別に命をかけているわけではなくて、そういう意味でオタク人生において大きな位置を占めているという意味なのだと思っています。
 
今はと言うと「情報は毎日読みきれないくらい手にはいる」「DVDは家にいてもレンタルできるしPC録画もできる」「2ちゃんやネット掲示板があるから好きな会話にはことかかない」「ブログやサイトが誰にでも作れるので、言いたいことや作品をすぐ発信できる」といいことづくし。ネットばっかりですが。「好みの作品がリリースされる分量そのものが増えた」なんてのも挙げようかと思いましたが、これは一長一短な気がするので保留。
そして、それを「便利」と見るか「当たり前」と見るか、はたまた「流されているだけでよくない」と言うかは人次第。

  • 今の中高オタ事情。

学校がオタク化し始めている件(喪男の書き留めたい事。)
ずいぶんVIPには中高生多いですネ。というわけで、主に中高の図書室や放送委員は今こんな感じみたいですよ、というスレ。ラノベ文化は、ほんっと中高生に浸透しているみたいです。個人的には「図書室にラノベ」は賛成。こっから色々好きな方面の本を探すんだからいいんだヨ。
こうして見ていると以前書いたようなアクティブな「おすすめオタ」は中高生でも多いなーと感じました。みんな楽しいことを共有したいんです。

167 名前: 棒またぎ姫 投稿日: 2006/11/22(水) 21:39:34.00
「本日のリクエスト曲は、堀江y・・・」

で反応する俺のクラス3,4人と話してみたい
隠れヲタってつらいNE

ああ、わかる!
放送でアニソンやエロゲの曲流してもおそらく先生方はほとんど気づかないだろうし(露骨なのはやめようネ☆)、図書室にハルヒ大量入荷しても「アウト」とはほとんど言われないでしょう。そして、それをエサみたいにちらつかせながら、お互いの反応を見て「あ、あいつとは同じ話ができそうだ!」ってオタク心の共有をしているんだな。
青春ですなー。はいここ年寄り発言。

  • 新世代の、自分だけで満足できるオタク。

とまあ、このへんは「若さ若さってなんだ振り向かないことさ」なアクティブさがあるから出来ることですが、学校でこういうことやらなくても今はネットがあるから、わりと満たされるんですよね。オタ欲求
先ほどの「人様に勧められるようなジャンルじゃないから」という意見はある種ごもっともだと思います。たとえばエロゲ文化ややおい文化はいまや一つの柱になってはいるものの、学校ではちょっとな…というのは分からなくはないです。エロ入ると羞恥心はでますよネ。あるいは、明らかにマイノリティで誰も受け入れないだろうなあというジャンルが好きな場合。「少年少女がサンダルはいて川を歩くときの足が好きなんだ!」という人がいたとしても、それを勧めようとはなかなか思わな…あ、結構いいですね。あれ?
どうしてもマイノリティな趣味を共有したい場合、mixiや2ちゃんやブログという便利な場所があるのは救いです。「少年少女がサンダルはいて川を歩くときの足が好きなんだ!」コミュを作ればいいんです。そこで昇華してしまえば、人には勧めないオタクが誕生するでしょうね。外側から見ると。
実質はあまり変わってません。だからブログや2ちゃんやmixiは日々発展しているのだと思います。楽しいことを共有したいという思いを捨てないのは、大切なことだと自分は思ってます。あ、自分はそんなコミュは作らないです。
 
さらに掘り下げると、本当に「自分だけ楽しめればいいや」という新世代のオタクが増えているのも納得はできます。だってねえ、ネットの情報量が尋常じゃないもん。人に情報発信するオタクに代わって、

・日々情報を消費していくこと自体が目的になるオタク
・情報を受け取ることで満足するオタク
・自分のための情報収集が目的になるコレクター型オタク

なども増えていく気がします。他にもあるかもしれませんが、やっぱりネットの存在は欠かせないだろうな、と思います。もし仮に今がオタクの世代交代の時期だとすれば、ネットによって引き起こされたものなんだろうなと思いました。あとは年齢。

「自分だけ楽しめればいい」という人は昔からいたと思うんだけど、どうなんだろうな。
(愛・蔵太の少し調べて書く日記) 

「自分だけで楽しめればいい」というタイプの一匹狼オタは意外と昔からいたのかもしれません。なにもオタク=群れをなす、オススメ君とはならないですしね。しかし孤高のオオカミたちが増え始めたのは、近年のネットの影響が間違いなく大きいと思います。コミュニケーションとらなくても情報が手にはいる時代です。
人の趣味なんて、その人が満足した段階でよしとされるものですから、それがいいか悪いかを言うは必要はないと思います。
ただ、自分はきっと今後も「コレが好き」と言いながら、共有できる仲間を求め続けるんだろうな、とは思います。そうやってニューロンみたいにつながったり離れたりして、そして一緒に楽しめる人に出会えれば幸せだな、とも。
だからうちのサイトは「とりあえずみんなで百合作品読もうゼ!」ってしつこく書くわけです。乃梨子瞳子
 
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今日の早川さん・「相反する感情」(coco's bloblog)
ないない、と思っていつつも、喫茶店や電車では寺山修司をカバーをかけずに読んで、似たヨーな妄想をします。でも「マリみて」はカバーをかけるあたりまだオタとしては貧弱です。はい。
逆にだ。隣に座っている人が幻想文学銀星倶楽部のバックナンバーや、大槻ケンヂの「リンウッドテラスの心霊フィルム」とか読んでいたら声けけないわけないじゃないですかっていうかそんな人となりに座ったためしないよほんとにもう。いつでも虎視眈々と、心の通じ合える仲間を探しているのです。それが異性ならなあ、というのは妄想。ところで早川さんはきっとこういう場面に直面しても話せないと見た。だから女の子を選べばイイジャナイ。
自分のためのコレクター型オタクな日常byN・H・Kにようこそ

おもトピ!より)
フィクションですヨ?