たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

そしてダメ人間の王国を作ろう。筋肉少女帯「断罪!断罪!また断罪!!」


曲目
1、おまけの一日
2、踊るダメ人間
3、猫のおなかはバラでいっぱい
4、パブロフの犬
5、代わりの男
6、何処へでも行ける切手

筋肉少女帯ファンで、このアルバムが一番好きという人はかなり多いのではないでしょうか。6曲のミニアルバムながら、非常に濃密でオーケン世界が完成された、そんな濃縮図のような作品なのです。初めて筋少の(ベスト版じゃない)アルバム聞きたいんだけど…という人にはコレか月光蟲、エリーゼあたりをオススメです。うん、胸をはってすすめられるよ、断罪。
 
一曲目「おまけの一日」は短いモノローグ。ほんと短いのですがインパクトは絶大。オーケンの世界観がぎっちり詰まっています。
そこから流れるように、「踊るダメ人間」へ。今の筋少を知らない人でも聞いたことがあるのではないかと思われるほど、サブカル層に影響を与えた一曲です。といっても別にミリオンセラーとかってわけでもないはず。だからこそすごい。

このプロモの「ダメ人間」っぷりは本当に見事。いや、ダメなのに見事って変ですが。「ダメ人間」という言葉は今までも使われてきているわけですが、一気にこれで普及します。今でも使いますよね。あらゆる場面で。
このネガティブ「ダメ人間」思想はサブカル層にしっかり浸透。今までも感じていたぼんやりとした不安を端的に表す言葉へと進化していきます。しかしこんなに「ダメ」をいう曲ほかにないでしょうね。
ダメなんだけど、自殺もできない。だからなおダメさが伝わり「それでも生きていかざるをえない。」で締め。
 
三曲目「猫のおなかはバラでいっぱい」は、前作「月光蟲」の「少年、グリグリメガネを拾う」に通じるものがある曲。オーケンの中の「猫」のイメージって、からっぽな自分の象徴なのか、はたまた世界の裏の裏の存在なのか。サクサクと切ったらバラがつまっているという言葉の妙が面白いです。ちなみに、某殺人事件が間違った方向でこの曲の影響を受けたとか受けていないとか。
 
四曲目パブロフの犬は橘高節全開の一曲。「知る」ということと「知ったから去る」という二点の対比が非常に面白いです。その激しいスラッシュをへて、太田作曲のなだらかな五曲目「代わりの男」へ。「代わり」というテーマは「特撮」時代になってもオーケンの中で使われるテーマになっていきます。「悲劇的な詩を歌っておどけていれば」「僕を早く休ませてよ」というあたり、自分の心理を露出狂のように開くオーケンらしいです。
 
そしてラスト、「何処へでも行ける切手」。言わずともしれた、エヴァンゲリオン綾波レイのモデルになった曲です。どこかへ行きたい、という逃避願望は「SISTER STRAWBERRY」でも何度も言われていましたが、今回は「包帯で真っ白な少女を描いた切手」をもらって何処かに行ってしまいます。その行く果ては、「月光蟲」でイワンが作った、子供達にいたずらをするエゴのつまったモラトリアムだったり、少女の集う王国と同じ場所。自転車をこぐことも捨て、切手にすべてを投げ出して逃避しようという気持ち、なんだかわかるからまいってしまう。脳の中の、あるかどうかも分からないぼんやりとした妄想の世界へなら、何処へでもいける。少女が手招きしているよ。
しかし、最後に、新興宗教団体のダイレクトメールにはられて捨てられてしまう虚無感は痛烈に心に残ります。本当にやりきれない。一瞬でもときめいたら、ああダメ人間。
 
最初に出てきた「おまけの一日」という生き方のテーマを、悩んだり悔やんだり逆ギレしたりして、最後にまたテーマに戻ってあっけなく捨てられる、という流れがあまりにも絶妙。そしてネガティブ思考の極み。巧みな言葉でサブカルにのめりこむ人たちの心理の裏を、えぐっていくからこそ、このアルバムは名盤なのです。疲れているときに聞くともっと疲れるので最高です。うん。
 
次回は「リンウッド・テラスの心霊フィルム」
 
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ちょっとずつ追加してます。
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住み慣れた街を捨て少年とネコが行く。筋肉少女帯「月光蟲」前編
私は月で少女たちと生きたい。筋肉少女帯「月光蟲」後編