たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

フィギュアを買うかどうか、それが問題だ。

ナディアのフィギュアがほしすぎる(アキバblog)たまごまごです。
ふしぎの海のナディア ナディア (1/10スケールPVC塗装済み完成品)
ぎゃー。ナディアが青春だった自分としてはこれはほしいところ。
 
フィギュアを買ったら負け。
そんな風に思っていたことがわたしにもありました。
しかし、一回買って超えてしまうと、歯止めが利かないのがフィギュアの恐ろしいところ。多分はじめて買ったのはエヴァのアスカだった気がしますアスカ大好き。
といっても、そこまでの道のりはかなり長かったです。ちょっとメモ程度に書いてみます。
 

修羅道の始まり。●

チョコエッグを、動物フィギュアを集めるために買い始める。チョコの食べ残しが目立つ。
 ↓
ガチャガチャのフィギュア集めをはじめる。
 ↓
「コンプ」する快感を覚える。トレードやオークションも活用。
 ↓
友人から大型のフィギュアをもらってしまう。ここがそもそもの入り口。
 ↓
箱フィギュアを買いあさる。
 ↓
金額的に「これなら大きいの買ってもいいじゃん」と思い、ついに手を出す。
 ↓
修羅道の始まり。

まあ、チョコエッグはフィギュアではあるけれど、「オタク向けフィギュア」ではないのでおいておくとして。あ、でもガチャガチャへのハードルが下がったのはチョコエッグのせいです。
発端はエヴァンゲリオンの彩色なしのポーズガチャガチャです。これは間違いない。
多分詳しい方なら、今でも持っておられるほどの名作だと思います。このシリーズはそれまでのガチャガチャのつくりではありえないようなポージングをほどこされていました。なんと言っても「寝そべる」というのを再現して200円、というのは衝撃でもありました。ただし、着色のラインはなかったのか、色は塗ってありませんでした。それでも200円とは思えない大きさと大胆な形状に夢中になったものです。当然その頃は色を自分で塗るなんていう技術はもっていませんでした。
 
それまでは、ほしいのだけ手に入れたらガチャガチャは満足していたのですが、このシリーズのおかげで「ほしくないのも含めてコンプリートしたい」という欲求が芽生えてしまいました。
冷静に考えたら「コンプ」に意味はないです。そもそもほしくないハズレに近いような、クリア版や好きじゃないキャラにお金を払ってどうすんの、という話です。
しかしマニアのサガというか本能は恐ろしいもので「とりあえず集めてみよう」と思ったら終わり。コインはみるみるうちに回転するレバーに吸い込まれていく羽目に。
最初は「回してこそのガチャガチャだよなあ」なんて言っていましたが、この時期からやたら出来のいい200円ガチャガチャが増え始めたもんだからさあ大変。コンプしたいと思うシリーズが増えるにつれてそんなポリシー貫いてなんていられなくなります。そこで知ったのがネットオークションと、中古フィギュアショップの存在。こうして「セット買い」という次のステップへ。
 

●フィギュアの存在感●

ここで大事なことをひとつわたくし忘れております。
それは、ガチャガチャはたまるとすごい量になる、ということ。つまりは重量と空間を占拠する大きさであります。
一つ一つは小さいけれど、みんなが集まりゃ大きな力ー♪
ガチャガチャを買っていた理由のひとつが「安くて小さい」からだったのに、数を買えば「高くて大きく」なります。ダブリも律儀に持っているとえらいことに。
さて、ショップで売っている安い大型フィギュアが大量生産できるようになり、ものすごい勢いで低価格になったのもこの時期でしょうか。もともと知識の薄かった自分にとって、フィギュアは5ケタ越えの値段がする高嶺の花、という認識でしたが、最近は3000円くらいでいいの買えちゃうからすごいよネ。一重に生産ラインの確保が理由なのかしら。
 
はて、サイズと使用金額を考えたところ、ガチャガチャも大型フィギュアも変わらないじゃん、という結論が脳みそに浮かぶようになりました。むしろだぶらない分お得じゃないか、と。
こうして最初に買ったのが、エヴァのアスカでした。初めて買ったときの後ろめたさとときめきは今でも忘れられません。ものすごい勢いでいろいろなものが脳裏を駆け巡りました。
「安かったな!」
「でもこれを飾るの?」
「見られたらどうしよう…」
…結論。
「でもかわいいよな。」
 

●「飾る」ことへのカベ●

フィギュア文化は実は大好きです。ものすごい技術力でつむぎあげられたフィギュアの数々は、「作品」の名がふさわしい。本田透さんが「妹ゲーム大全」で、「現在の仏像=フィギュア」とおっしゃっていたのはまさに、だと思います。技術力を結集させ、原型師がキャラへの愛とフェティズムをこめて刻み込む。ちょっとした偶像なんですよネ。
また、ガンプラやアメコミフィギュアに手を出したのもこの頃。フィギュアってのは面白いもので、自分で買うようになってさまざまな角度から眺めるようになると、「この作品はここの部分がいいな!」という新しい発見が出来るようになります。プラモは特に自分で作って、色を塗るもんだから、愛着もわきます。
ところがどっこい、自分はプラモやアメコミフィギュアは飾っているのですが、美少女フィギュアは飾れずにいました。
足りなかったものは、覚悟。どんなに感動した作品でも、人に見られることを恐れていました。ある意味超えるべきカベ、ある意味超えてはいけないカベでした。
それをものすごい勢いで越えさせたのがピンキーストリートでした。
人に見られても割りと平気。むしろ玩具的でかわいらしい。だけどオタク的な思考でのニヤニヤな楽しみ方も可能。
これが、後の大惨事へとつながるのです。
 

消費地獄●

ピンキーは初代から集めていたのですが、そこで芽生えたのが「とりあえず全部集めよう」というコンプ欲。過去に培ってきたものが芽生えてしまったのです。
ピンキーは小物が多く、とかくバラバラになりやすい。となるとケースに入れて保存するのがベストになります。もちろん何体かは飾って楽しむのですが、ほとんどはケースのままです。透明だから気にならないんですよね。
ピンキー自体めちゃめちゃ好きなので、ぜんぜん買って後悔なんてしてないのですが、リペイント版などが出だしたからさあ大変。えらい数に。そのうち改造なども初めて、同じ種類を何個も買うことに!
いやいや、でもここまではまだなんら問題ありません。趣味ですから。
問題は、「お金を使うことに快感を覚えてしまった」こと。
買い物依存症状態だと、「何かにお金を払って入手する」という行為自体が安心感になっちゃうんですよ。それはどんな物でもいいのですが、100円とかの安いものだと物足りなくなってしまうという部分が危険。
はて、ファッションだと着なければ意味がありません。本だと読まなければ意味がありません。しかし、フィギュアは「買ったら達成」なんですよ。もちろん鑑賞する楽しさや飾る楽しさがあるのですが、能動的に何か時間をかけて手を加える必要がありません*1。本が「読む>>>>買う」という目的であれば、フィギュアは「買う>>>見る」という構図をかーんたんに作っちゃうわけです。
ふらふらとヨドバシカメラに寄り、なんか買おうと思いはするもののCDは今聞かないしゲームやるのは面倒くさいし…という時に、フィギュアは魅惑すぎるアイテムでした。「買う」気持ちを満足させる上で。
 

●そして、ストッパー。●

ふと気づくと、飾る勇気のないフィギュアがベッドの下にびっしり並ぶ羽目に。
気づくの遅いよ!
一個一個を買って後悔しているかというと、そうでもないんだな。かなり選びに選んで、本当にほしかったものを買っているので。だがしかし、その空間占有率の高さに戦慄。
オタクにとって一番の恐怖になる言葉が、頭をよぎります。
「今死んだらどうしよう!!」
火事になったら、でもいいです。そう思ったときに、買う手をいったん止め、「もう少し考えてから…」というスキルをようやく手に入れました。
結局、少し考えてから買うことが多いのですが。嗚呼、恐ろしやコレクション欲。
 
フィギュアそのものについては思うところがまだまだあるのですが、とりあえず自分の歴史はこんな感じ。まさにフィギュアの道は修羅の道よ。
コレクターに比べたらぜんぜんまだまだ甘ちゃんな量なので、きっちり管理して保管しておられる方には敬服するばかり。買ったらそのままな自分は愛が足りなさすぎです。
しかし同時に、普通ではありえないフィギュアプラモの山を見て、自分の線引きはどこからなのだろう?と見えない答えに手を伸ばす日々。
んで、今アマゾンカートの中には、数体ほしいフィギュアが入っているのでした。怖いね。
 
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*1:もちろん、手を加えたりディスプレイに凝る遊び方もあります。