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「しあわせももりんご」を読んで、エッチな妄想に勇気と自信を持とう!

しあわせももりんご (1) (FOX comics) 
少年から老人や少女まで、エロに対するマグマのような情熱を描き、多くの日本人の涙を誘った「しあわせももりんご」の完結編が発売されました。
もともとWEBマンガとしてとらのあなで連載されていたうさくん先生の作品です。
まあ、ぶっちゃけた言い方だと「下ネタ」なわけですが、この作品を読んでゲラゲラ笑いながらも勇気を得た男の子(かつて男の子だった人達含む)は多いのではないかと思います。
下ネタで勇気?と首を傾げられるかもしれませんが、読んだ人ならきっと「ああ、そうさ!」と拳を握るはず。
この「しあわせももりんご」は、そんな情熱と若さと涙とエロスが入り混じった、すべての人類に眠る魂の物語なんだ!
 

●エロスは日常に眠る●

出てくるキャラたちは、「属性:○○ エロス:○○○エロス」と、エロス度数が数値化されるようになっています。
最大で9000オーバー(カッパの頭に触ったときに帽子が跳ね上がった角度×100)のエロ度数。これを自分に当てはめるとなかなか面白いんじゃないかと思います。
ちなみに自分は「属性:少女脚・スパッツ エロス:7000エロス」くらいだと思います。エロ本のめがねについて感想文を書いた6800エロスの「辺幸 作郎」には負けられん!
 
ところでその「エロス」数値なんですが、実際の大人が「ヤリタイー」という数値では決してない、と言っておく必要があります。
確かにケダモノのように貪るような性欲は大人になるほど増大しますが、そんな大人が子供のときに持ち合わせていた「エロス」を思い出してください。
パイの実」と聞いたときに反応したあの妄想のシナプスを。女の子が座った後の椅子を見ただけでそこに座ったらいけないような気がしてしまうほど敏感にエロを感じてしまったあの純粋さを。
そして日常のささいな小さな音にすらエロスを感じてしまう、あの敏感さを!

あらゆるところに眠るエロス。それを想像力でカタチを見つけ楽しむこの心よ。
これこそが、ぼくらが忘れた…いや違う、ぼくらが心の中に抱きつつも恥じらいと後ろめたさで隠してしまった宝物じゃないだろうか。
 

●エロスのやさしさ●

このマンガに出てくるすばらしきエロス住民たちは、みな迷惑のかかる犯罪的行為に手を出す事はありません。
ぱんつをずりおろしてどうこうしたいんじゃありません(いや、したいかもしれないけど!)。むしろ、モロに触りたいのではないんです。そんなことじゃなくパンチラが見たいんです!
 
このマンガのすばらしいところは、リアルで即物的な「エロ」に頼ることなく、少年期に目覚めた「エロス」のイメージを、老人になっても輝いた瞳で持ち続けていることです。
むしろこの作品で「エッチしたい」という話が膨らんでしまったならば、それはそれで面白いながらも根本的なズレが生じてしまいます。エッチがしたいんじゃなくて「おっぱいが触りたい」「パンチラが見たい」なのです。
この心は子供が出来て孫が出来ても、そこはかとなく皆が持ち合わせているもの。生々しい下品さではなく、抽象的になった「えっち」なシチュエーションは、嫌悪感ではなく気恥ずかしい甘酸っぱさを持ち合わせているじゃあないか。
無修正エロビデオは嫌う人もいるかもしれないけど、風が吹いてパンチラしたらつい振り向いちゃう。
そういうことです。
 
だからこそ、このマンガは確かにどうしようもないくらいエロスではありつつも、たくさんの人に愛されています。もちろんこの時点でもさすがに変態すぎてアウトーな人もいるでしょうが、逆にこのピュアエロス度パワーを持っている人なら、10歳でも60歳でも一緒に盛り上がれる楽しさがあるんです。

だから、時にはばかばかしいと分かっていても、やらねばならない時がある。
時には理性と羞恥心が阻害しても、求めてしまうエロスのイメージがそこにある。
まあ、触れられないわけですが。触れられないから必死に求める男女の姿は「バカだなあ」と笑いを誘いつつも、なんだかあったかい共感を産んでいきます。
ちなみにこのバット握った校長はいわゆる「ドM」なんですが、ありえないとは思いつつ微妙に共感してしまうから困る。2巻の最後の最後でドSな少女が見せたあの姿には涙。本当に涙。
 

●少年はエロスに魂をかける●

1巻での熱いやりとりのシーンは、発売当初男達の魂を強く強く強く握り締めました。
ちょっと振り返ってみます。

小中学生のときに、「エロ本が見たい」と感じたあの心を覚えていらっしゃるでしょうか。
今?見たいですよ。でも中学生のときに見たかった気持ちは現在の100倍では済みません。
なんせまず法律的に入手できないから見られないじゃないか。しかも健全な男子なら日々頭の中にはその妄想でパンパンじゃないか。でも彼女がいるでも結婚しているでもなし。ああ、見たいよ、世界の神秘を。宇宙の秘宝を!
そんな彼のこの熱くまっすぐな思いは、この後彼を命がけの行動に移します。それは実際にその目で見ていただきたい。
 
そしてもう一つ、男の中の男が登場しました。
名もない、顔も分からない一人の、です。
エロ本が買えず、読むことが出来ず涙にくれていた少年。それを見た男もまた、かつて自分が少年だったときの気持ちを忘れてはいません。

そう、彼は少年に本をただ与えるというぬるいことはしませんでした。無視するという冷たいこともしませんでした。
しかし少年に、男としてのロマンを与えたのです。
 
実際に「エロ本」に眠るロマンは、見慣れていくと微妙に弱まることもあります。
時には理想と違って絶望にたたされることも、ああ、あるさ、あるともさ。
しかしエロ本を手にした時のあの少年の心がいかにエターナルなものかを、うさくん先生はギャグの中に潜ませています。それは彼女がいるとか結婚しているとか関係ありません。好奇心・探究心・・・いや、もしかしたら愛かもしれません。
 

●エロス少年よ、胸を張れ!●

年齢を超え、エロを求めるその情熱に対して、うさくん先生は毎回一つのコマを提示しています。
微エロ絵とあわせた文章のコマなんですが、それを見ていくだけで魂が震え上がります。まあギャグなんですが、共感度は半端じゃないです。

特殊性癖やフェティズム。
それは時には人には言えないこともあります。恥ずかしいから、が大半の理由です。
わたくしめも恥ずかしくて「スパッツ少女にはだしで踏んでもらいたい」なんていえません。かけません。恥ずかしいもん。
しかしうさくん先生のこの言葉をかみ締めましょう。
「神から授かった特殊能力という考え方もあるだろう。」
そう、恥ずかしい事かもしれないけれども、恥じる事はないんだ。
だって、好きなんだろう?それが好きなんだろう!?
ああ、好きさ、それがリアルかどうかなんて問題じゃなく、好きさ!エッチなのは大切なことさ!
どこかで隠してしまった少年期の熱い願望。そんなこというのは大人としてはファンタジーすぎて恥ずかしいと思ったあの心。
 
この作品、読むと一気に少年の心が覚醒させられます。それはうさくん先生が冗談交じりながらも本気で全肯定してくれるから。
同時に「自分を満足させてくれる書籍に恵まれない、友達と話が合わない等、辛い事も多いと思うが」のさりげない一文に涙ですよ。
そんなのねえよ、リアルじゃありえないしょ、キモいじゃん、変態、めずらしいよね、異性をばかにしてるよね、等々。
それはもう不可避。中学生の頃のあの熱い思いを抱いていたら、必ずどこかでぶつかる壁でもあります。特にマイノリティで、書籍に恵まれない場合は自己生産しなければならないという苦難が待ち構えています。
しかし、胸を張ろうじゃないか!
バカになんてしていない。自分の中の少女はそう輝いていたのだ。自分脳内に。
少女のはだしが好きでいいじゃないか!そうじゃないか!
あ、でも自分は書籍には恵まれています。幸せだなー。そんな幸せを再確認できるのも、うさくん先生ならでは。やはり全肯定世界は読んでいてほっとします。
 

●冗談だからこそ、少年期の本気を思い出せる●


名言ぞろいの「しあわせももりんご」。
読めば読むほど、ゲラゲラと中学生気分で笑えるんですが、同時になんだかじんわりしみこむものが年齢にかかわらず共通してあるのがたまりません。
先ほども書いたように、それはきっと誰しもが共通してもった「イメージ」の肯定だから。
いいんだよ、それでいいんだよ。笑ったり泣いたりしながら、エッチなこと考えてきた君はそれでいいんだよ。
 
ありがとう、うさくん先生。
しあわせももりんご (1) (FOX comics)