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LO作家千勢賢秋が描く、ノスタルジック少女を見上げる少年の視線

エロマンガの話なので収納。そんなにドえろくはないです。少女のノスタルジーをどう感じるかのお話です。
 
 
LOはいつも新しい作家さんがめきめきと育ち、恐ろしいほど成長を遂げる場になっています。最近二冊目の単行本が出た東山翔先生や雨がっぱ少女群先生なんかもそうです。
そして、今自分がものすごくハートをわしづかみにされているのが、千勢賢秋先生。
二足のわらじの兼業マンガ家らしく相当大変なようですが、今まで掲載された3作品とも、あまりにも独特な少女像を描くものだからツボで仕方有りません。
ちょっとご紹介してみます。
 

●デビュー作「寄り途」●


以前も紹介した、LO2008年4月号に掲載された「寄り途」が、持ち込みのデビュー作です。
この田舎の夕暮れの景色だけで、そりゃやられちゃいますよ。
実際にこの田舎の光景を見た人がどのくらいいるかというと、そんなでもないと思うんです。もちろん経験者もいるけど、全く見たことない都会っ子も多いでしょう。
なのに、これを見て「ああ日本の田舎の夕暮れだ」と感じさせる力がなによりすごい。真ん中に小さく写っている少女達が、ヘルメットをかぶって通学している光景なんてそれこそ今なら希少です。
それなのになぜか見たような気分にさせてくれるマジックが秘められています。
 
日本らしい光景、というのはイメージとして色々ありますが、それをうまく形にいしているのが千勢先生の描き方と絵柄。
千勢先生の描く「少女」はどちらかというとリアル描写です。萌え絵ではないです。
彼女たちの中に汗くささや体温すら見ていて感じさせるのは、それが紛れもなく「日本の少女像」だからです。脳の中にある、「日本」と「少女」の印象のいいところを引っ張ってきているので、あたかも見てきたかのような印象を受けるんです。
もちろん「あ、こんな娘いたなあ」と思い出す人は多数でしょう。そのくらい「どこにでもいそう」なんです。
 

また、千勢先生の描く少女達は、全く派手さを持ちません。非常に素朴で質素です。見ての通りヘルメットのひもまでしめています。真面目なんです基本。
 
この真面目さも実はポイント。
だってね、真面目な子がエロい話とかしたら、ドキドキしませんか?

いかにもクラスの隣の席に座ってそうな子達が、こんな会話していたらもうドキドキですよ。心臓はみでちゃいますよ。
実はこの流れも意図的に計算されているのが面白いところ。この素朴で真面目でどこにでもいそうな少女達の姿と、なんだか妙に大人びた会話のギャップによって、読者の視点は自然に誘導されていきます。
見た目幼い少女達が生々しさを持つことで、読者は相対的に「年下の少年」または「クラスメイトの少年」の視点まで引き下げられるわけです。
 

●「理科室」●

LO2008年7月号掲載の「理科室」。

中学生が主人公です。
もうこの引用したコマだけで一発で分かると思うんですが、読者はあくまでも「育ってない少年」視点。女の子は「なんだか大人び始めた少女」という扱いです。
先ほどの「寄り途」でもそうなんですが、これが徹底されていくことで、読者の中に眠る少年心がものっすごいくすぐられるんですよ。
 
自分よりちょっと大人びたクラスの女子が、エッチなこととか話していて「すげー!」って純粋にわくわくしちゃったことって結構男子ならあるんじゃないでしょうか。
特に小学校高学年から中学校だと、なおさら。男の子はバカだからねー。
同じ歳で、自分より女子が明確に大きく見えるその時期を描くことが、過去に体験した自分たちの思春期の記憶をくすぐります。
千勢先生の絵柄の、きれいな素朴さも相まって、それは増幅されていきます。
また制服がいいですよね。全然マンガっぽくなくて、ほんとどこにでもありそうなもっさい制服。素晴らしいです。もっさい制服はLOらしさの一つだと思います。長月みそか先生とか。いいですよね。大好き。
 

●「のこぎり山」●

そして、LO2009年1月号掲載の「のこぎり山」。
題名のノスタルジック感もすごいんですが、今回はさらに「少年視点」を強調していきます。

どんどん田舎度は高まり、今回は夏休みの山の中。カブトムシ取りをしている少年が主人公です。
普段全然しゃべらないようなクラスの女の子と偶然一緒になってしまって、気まずいなあと思う少年。それを飄々と流して、いかにも知ったかのようにえっちな話をする少女。
うわあ、女の子すげええ、女の子ってすげえええ。

くっだらないボケをかまして恥じらいを隠すあたりが、なんともバカな少年っぽくてもうね。
しかしそういう細かな表現こそが、少女>少年の構図をさらに明確化していきます。
この話自体、完全に女の子リードです。しかも途中で性知識のない男の子は「もういいやー」とか言っちゃうわけですよ。どう考えてももったいない!と思うのは大人だから。男子児童はそんなもんですよね。目の前のエロよりカブトムシ。

徹底的に、男の子は幼く、少女はなんだか大人っぽい。
少女側の心理もさらっと描かれているんですが、全然ロマンチックじゃなくてさばさばしているあたりも、非常に「男の子から見た、大人っぽい女の子像」なんです。
 

●千勢先生流の、日本少女●

まだ三作しか発表されていないこの作家さんですが、かなり強烈な力を持っているのが見て取れます。
エロマンガのエロの流れも、ものすごくいい意味で飄々としています。バッドエンドでもハッピーエンドでもないんです。
いわばその白黒のない状態って、とても子供の視線なんですよね。大人から見たら何か意味をもたせなきゃと感じてしまうんですが、子供が「あの子大人っぽいなあ」と見ていた場合、それに終始して、その感覚をずるずると引きずり続けます。その引きずる「少年側の余韻」と「少女側のさばさば感」が非常にうまい。
 

千勢先生はおそらくこれからまだまだ上手くなる作家さんだと思います。
なんと言っても、とことんまで「男の子が見上げた日本少女像」が描けることが貴重です。多分もうすでに「この少女を描くのはこの人だ」というくらいの個性の持ち主だと思います。それは作家としての武器です。
エロマンガを通じて少女像を追求していく作家さんは本当にすごい。二足のわらじは相当ハードだと思いますが、是非とも追求しつづけてください。次回作期待してます!

ちなみに千勢先生のえっちシーンは、基本全裸です。そこは好みが分かれるかも。
描写として、子供の時に女の子に興奮する、あるいは「女の子すげー」ってなる感覚ってやっぱり「裸」なんです。裸や、露出した肌の記憶がずーーーっと脳裏に残っていて、それが「なんだか懐かしい」という感覚を生みます。スク水やブルマ好きな人もそのへんの感覚、多分あるでしょうね。
そこにあわせて、ちっちゃくてピンピンな自分のチンコ。とにかく男の子チンコがちっちゃい、やわらかい。このあたりの感覚がものっすごい勢いで、自分を小学生の頃に引き戻します。身体感覚すらも使ってノスタルジックをさりげなく表現する技法は見事。エロマンガ的には大きい方が目を引くらしいですが、あえての小さく細いおちんちん。
実は「全裸少女のイメージ」や「細いチンコの身体感覚」によるノスタルジーの表現は、実際に片山健氏の画集「美しい日々」*1などで、表現の技法としても存在しているんですよね。
LOはなんかまたとんでもない作家を育てようとしてますよ。
 
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にまじ先生はまだですか!!見たいよ!
あと最近はばーぴぃ先生もパワーあふれていて面白いんですが、Noise先生がものすごいじわじわ腕を上げている気がしてなりません。
あと、鬼束直先生などもそうですが、独特なリアルとイメージの中間層にある少女を描ける実力派作家さんが本当にLOは集まっていて驚きますわ。なんですかこの吸引力。

*1:絶版。超希少本なので、見たら買え!まじで!