たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

まいちゃんとギカクのめくるめくエッチな生活「終わりと始まりのマイルス」

えー。記事の題名を見て「釣り記事か!」と思われるかもしれませんが、自分の中での最大の印象がこれなので、割と本当です。つーかかなり本当です。
終わりと始まりのマイルス1 (Fx COMICS)
そんなわけで、あまりマジメな感想はかけませんのであしからず。
鬼頭莫宏先生の新作、『終わりと始まりのマイルス』。
表紙と題名を見ても、さっぱり中身がわからないわけですよ。しかもあの、鬼頭莫宏先生です。「なるたる」や「ぼくらの」ヴァンデミエールの翼」を見ている人だったら「だ、誰が死ぬんだ…」「どんないじめがあるんだ…」とおっかなびっくりになるでしょう。よくわからない人は「のりお なるたる」でぐとぐるよか。
しかし、この作品誰も死にません。今のところ。
じゃあどんな話なの?と言われると、説明が極めて困難なのですが、正直なところ自分の第一感想は「まいちゃんとギカクは毎日セックスしてるな!」というものでした。
ああ、石を投げないで!まじで!まじだって!
 

●和姦です。●

今までの鬼頭莫宏先生作品といえば、どうしても「売買春」だったり「レイプ」だったりと、「性」は陰鬱で汚らわしい人間の業みたいなイメージが強かったのですが、今回はもうあっけらかんとしたもんです。
表紙の赤白のしましま顔がギカク、後ろの可憐な少女がマイルス・エランクストン、通称まいちゃん。
なあ、信じられるか。
この二人が、夜な夜なえっちなことしてるんだぜ。
 
ギカクが無理にしてるんじゃないの?と思いきや。

まんざらでもないようです。
というのもまいちゃんたら、この前のコマで「え?だってちょっとこんな時間?明るいよ?」と言っています。
つまり、暗い時間にはいつもヤっていると言うことですよ(中学生みたいな笑顔で)。
やったね!明日はホームランだ!
 
いやいや、待てよ。
やっぱりギカクが何らかの弱みとか握って、むりやりやっているんじゃないの?
いえいえそんなことはありませんよ奥様。
たとえば彼女が偶然(ではないんですが)エロビデオを見てしまったときの反応が。

すっげー嬉しそうです。はいお約束。
しかも後日別のビデオ見たときに「コ、コレは・・・悪くないかも・・・」とか言っちゃうわけですよ。
エロ慣れしまくりですね、まいちゃんたらもう。あふん。
 
もちろん、彼女から求めるシーンはなにもないんですが、逆に言えばまさに「まんざらでもない」わけなんですよ。
実際の所、この作品にはエロシーンはありません。しかしないからこそ、随所でほのめかされるこの二人の関係がもうエロくてたまらない。
しかもギカクによると、まいちゃんは相当なテクの持ち主のようでして…。
もうね。キミら毎日エッチしてるんでしょう?とセクハラおじさんの顔になってしまうこと間違い無しです。
きっとまいちゃんは「何言ってるんですか!」って顔真っ赤にしてぶん殴ってくると思います。
そのへんもあわせて、もうニヤニヤ。
鬼頭作品が、こんなにも幸せなえっち生活を描いてくれるだなんて。ニヤニヤが止まりません。

しかもなんだかんだで、手綱をひいているのはまいちゃんの方だったり。なんだかんだでいいカップルです。
可憐な少女が実は見えないところでエッチ、ってのはどうしてこうも明るく楽しくエロいんでしょうな。鼻息が荒くなりますな。
 

●セ、セ、セックスするのか?●

この話にはもう1カップルが、わけありで誕生します。
マイルスはちょっと力を持っているんですが、それと同じ力をもっているキオノナという女の子と…です。あ、相手が誰かはネタバレになるのでナイショ。
んで、このキオノナって子がまたかわいいんだわ。声の小さい無口キャラなんですが、男の人に対しての耐性はゼロ。顔色変えず無言で武器を振り回す凄腕ですが、触れられただけで「妊娠した」と騒ぐほど。
そんな彼女がわけありで男?と組ませられたときに、ギカクとまいちゃんの関係を知っているため(というかギカクが開けっぴろげに言ってしまうため)、こそっと言うわけですよ。
「セ、セ…しないのか?」と。

「期待してたのか?」と聞かれたとき猛烈な勢いで反論しながらも、なんとこの子勝負パンツ準備済み。
最強のむっつりスケベ子さん、ここに現る。
キオノナのクールビューティーっぷりと、隠れ純情エロっぷりがキュートでたまらんのです。
 
重ね重ね言いますが、これは鬼頭先生作品です。
なんだろうこの妙なほどの明るさとエロさは。というか、性に対して微塵も暗さがない。むしろ積極的でみんな明るいのなんの。
夜な夜な(つか日中も)エロいことしまくってぎゃー!とかわー!とか言っているギカクとマイちゃんは容易に想像が付きますし、それは幸福そのものでしょう。多分。
だがなんでしょう、こののどの引っかかる感じは。
 

●炁●

そもそも「なんでこんな顔のとえっちしてるの?」という疑問がわきます。
正直、それはまだこの巻では解決していません。そもそもギカクが何物かが分からないと意味が分からないですよね、この二人の関係。恋人同士、というにはちょっと違うし。
そこに絡んでくるのが「炁(き)」という理念です。
 
炁とは、簡単に言うと物に対して抱いた「愛情や思い入れ」のことです。それが集まれば集まるほど一定の「物ではない形」になる、という仕組み。
なので、この世界に出てくるほとんどの物は、炁でできたもの「炁物」なので、実物ではありません。
「炁によってできた物体」は実体のあるもの(たとえば人間とか)によって傷をつけたりはできませんし、エネルギーもいりません。想像の塊ですから。
それを御するのが炁祷師と呼ばれる存在です。マイちゃんやキオノナはこれにあたります。彼女達は物体ではない炁物に対して色々対処ができるというわけです。
 
どこからその炁物がやってくるかというと、さらに下にある「小さな世界」と呼ばれる場所です。炁物は炁の力によって上へ上へと上昇します。
ようするに、すごいざっくり言ってしまうと。
 
「小さな世界」=このぼくらが住んでいる世界
「炁が浮かんでくるオービスワーヌス(まいちゃんの住む場所)」=天と地の間
「その上」=天国・あの世?
 
ということなのではないかな?と思うのですが・・・現時点ではわかりません。
ギカクの存在は、そのハザマにある、とあるものだと思っていいと思います。詳しくは読んでもらった方が面白いので、秘密です。

マイちゃんの住むオービスワーヌスはそんな、とても中途半端で、通り過ぎる場所にあります。
エネルギーいらず、常に浮遊している、壊れることがない。なんとも幸せで光り輝く空の中の場所です。見ているだけでこの浮遊感は、キモチイイ。
しかし同時に、この世界は「浮遊しているものの通過地点」です。
常に「出会い」と「別れ」が隣り合わせ。永遠というものが決して存在しない場所です。

全編を通して明るい空気漂う今作ですが、どうあがいてもいずれくる「さよなら」は覚悟しなければいけないようです。
このシーンは、飛んでいる車がこの世界での役目を終えて、昇天する瞬間です。
昇天?いや、本当はどこにいくんだろう。
鬼頭先生作品にしては珍しく人の死なない漫画ですが、実は常に「愛されたもの達」が死んでいる漫画でもあるのです。
 

●物体と魂と炁●

鬼頭先生は「ヴァンデミエールの翼」で、魂の器としての物体について描いていたことがあります。
「ヴァンデミエールの翼」に見る、魂の入れ物と自由への羽。
今回は「炁」という特殊な概念を用いていますが、基本「物体」「魂」「炁」の三つ巴状態でつりあっている、というのがまた面白いところです。
で、それぞれに区別はないんですよ。ギカクのようなよくわからない存在とマイちゃんがエッチなことをしまくるのも、その両者の間に境目がないからです。同等の存在だからこそ、なんです。
しかし、必ずくる「炁」の終わり。魂の終わり。
今はいちゃいちゃどたばた楽しいかもしれませんが、どこかで終末が来ます。
 
まー、考えてみれば自分達の住む世界も、必ず人間は死ぬわけで、必ず別れがあるわけです。
同じと言えば同じ、かもしれないけれども、この世界の目に見える形での「昇天」にはなんだか胸が切られるような寂しさがあります。鬼頭先生は特にそのシーンを重要視していて、1ページまるまる炁物の消滅のシーンに使っている、というのが何度もあるんです。
ヴァンデミエールが飛びたいと願った自由の空は今、別れと死の境界線にあるのかもしれません。
 
 
 

なーんて色々深読みすればするほど面白いんだけど、まいちゃんのエロ生活の面白さに目が釘付けすぎてどうにもこうにも。
いや!わかってるんです!自分の目が腐ったおっさんの目になっているというのはわかっているんです!
ですがギカクのエロ思考に共鳴せざるを得ないのですってば!
ぼくはまいちゃんとギカクの性生活のことで頭がいっぱいです。

ひー!
 

鬼頭作品は気になる!でも欝っぽいのは怖い!という人にはおすすめ。世界観の面白さと、なんともいえない空虚感、絵からあふれ出る寂謬感はしっかり残っています。マイルドに見えてどこかに劇薬が隠れていそうなにおいもしますが、それでもまいちゃんとキオノナのかわいさが半端ないので、ここは素直に楽しみましょう。
 
〜関連リンク〜
「終わりと始まりのマイルス」と鬼頭莫宏のモチーフの話(ポンコツ山田.com)