たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

みつどもえで学ぶ正しい性教育「みつどもえ第136卵性」


今週はみんなが「NAMA」を読んで「ゴムくらいつけなさいよ!」という回でした。
嘘です。
 
でも「なまなましい」と銘打つくらい、思春期少女達には刺激の強い回でした。
まあそれをギャグで軽快に描くんですが、同時に桜井のりお先生流の性教育観が出ていて非常に面白い回でもあります。そういう意味で「なまなましい」子供達の感覚が出ています。
 

●セックスを語ることは恥ずかしいこと?●

WEB拍手で面白いものがあったので先に紹介します。

今週のみつどもえで、将来自分の子供ができたときに子供にどう性教育をするのか考えてしまったので
感情にまかせて感想を投稿させていただきます。
小学6年生って一番微妙な時期ですよね、自分の経験では漠然とした知識は持っていても具体的な内容は
知ってませんでした。深く知りたいけどエロい自分に抵抗を感じるという葛藤が生まれたりして、ちょうど
今回の杉崎ファミリーのような感じだったと思います。
杉崎ファミリーは決してセックスという単語を出さなかったけれど、おそらく彼女達はこういった話をする
のが初めてだったんだと思います。
特に吉岡は今回はいつもと違って歯切れの悪い説明をしていました。だって恥ずかしいから、エッチって
思われたくないから。みんなはセックスをどんな風に思っているの?と思っていたのかもしれません。
自分は小学生の頃は、エロ=悪(というかキモイ)というイメージがあったように思います
エロい自分を受け入れられるかどうかが子供から大人へ成長するという事なのかと思いました。
 
ところで丸井家では、ちゃんと性に対する教育がされてましたね。父親が娘に性に対して説明するのは
大変だったろうな

みつどもえ」世界はエロスに満ちあふれていますが、セックスとは無縁な世界でもあります。下ネタというイノセンスの中にできた楽園と言っていいでしょう。そりゃそうだ、だって6年生だもん。
とはいえ今までも矢部っちに「童貞!」と言葉を浴びせかけたりと、そこそこに毒はあります。そのバランスが非常にいいんですよね。
とはいえ、「性」を「なんとなく知ってる」のと「ちゃんと理解している」のは全くの別物。このコメントにもあるようにそこをきちんと描き分けた面白い回なのです。
 
ことの発端は大人気少女漫画「NAMA」のワンシーンでした。
杉崎チームも丸井家三人も、大好きな漫画。みんな読んでいます。
その最新刊のあらすじを知りたいというみつばに吉岡が説明するシーンなんですが、それがこれ。

いわゆる「朝チュン」というやつですね。
少年少女漫画のようなセックスシーンを描けない作品で時々使われる手法です。まあ「チュンチュン」があるかどうかは別としても、「はい、おセックスなさいましたね、おめでとうございます!」なシーンはそれほど珍しくなくなりました。*1
 
で、吉岡は恋愛大好きな女の子。ばっちりドラマや少女漫画で恋愛を知ったタイプです。
お母さんがまた厳格な方なので、あまり不道徳的な要素には触れさせていないからなおのこと反動で…という家庭環境も考えられます。興味はあるんですとても。
とはいえ、これを口に出して言うのは恥ずかしいんです。
この二人が「セックス」という行為をしていることだけはなんとなく分かるけれども、それを説明することがどうしても出来ない。


杉崎・宮下・吉岡は「二人がセックスした」という部分を婉曲表現でなんとか回避しようとします。
まあ6年生で「セックスした」とはなかなか言えませんわな。「性交した」「エッチした」色々ありますがちと言うのは厳しい。
朝チュン」も婉曲表現ですが、「結ばれる」「一線を越える」というのも正しくはない表現。
じゃあなんでそんな曲がった表現が出てくるかというと「性交する」「セックスする」という言葉が恥ずかしいものだから、という後付け的な文化が存在しているからです。少なくとも日本ではテレビなどで「セックスしましたね」とか言ったら大変なことになるでしょう。
 
特に吉岡においては、恋愛から性行為に対しては「別世界の行為」のように感じているわけです。
子供の頃、セックスという行為がいかに話すのが恥ずかしいか、むしろ口にするのがよくないことか、誰に習うでもなく覚えてしまいます。
現時点では、学校教育ではなく日本全国の「雰囲気」が、性の話=恥ずかしいモノ、という認識が強いと言ってもいいでしょう。吉岡たちの赤面は自分たちがやはりその立場であったら、同じように言いよどんでしまうものです。

ふたばが朝チュンの意味を完全に勘違いしているのを見て、ほっとする二人。
「ちょっと安心したような」というのは読者の代弁でもあるんですが…ふたばはイノセンスな子、よってセックスの知識がないほうがほっとする、という思考の流れは実際問題、微妙な気がします。
すっごく分かっちゃうんだけどね。
「セックス」は汚れてもいないし忌むべき行為でもないよ。
でもなぜか避けてしまう不思議な文化と、それを受け継ぐ子供達。
 

●「セックス」を知っていることと理解していることの差異●

このあと、みつばとひとはが意外な展開を見せます。

散々「セックス」という言葉が恥ずかしくて言えずパニック状態だった中、冷静にドラマの中の朝チュンシーンを例示しながら「漫画の中で何が起きているか」を説明したのはみつばでした。
「セックス」の語こそ出さないモノの、他のメンツと比べたらその差は歴然。ちゃんと理解し「こういうことになればいいなと」と説明まで入れています。
まあひとはに至っては、エロ本コレクターなので言うまでもないですね。
 
最初のコメントにもあったのですが、おそらく丸井家ではパパによる性教育がきちんと行われているのでしょう。
「性を知る」だけなら教育を受けずとも、世界中のノイズを拾えば情報はカンタンに手に入り、興味は満たされます。しかしそれが「現実」であることをきちんと押さえるとなると、正しい性知識の学習が必要になります。
みつばも今までひとはのエロ本を恥じているシーンがあるので、全く恥ずかしくないわけではないでしょうけれども。
それでも聞き覚えの曖昧な知識と、裏付けのある現実を学んだ子とのギャップは大きいです。
 

ふたばなんかは普段からおっぱいを追っかけていますが、性に関しては極めてイノセンスな子です。
今回の話で、みつどもえの世界がふたば的イノセンスに満ちあふれているわけではなく、ちゃんと「育てられる子供像」が描かれていたことが大きいと思うわけですよ。
勝手にほおっておいて育っているわけじゃあないんです。友人たちとクラスでぶつかりあい、矢部っちとガチで向き合い、パパに叱られる。一巻から比べて、そうしてちゃーんと育っている。
杉崎達も今回の一件で、一つ大人になればいいねー。
 

                                                                                                                    • -

 
以前も書きましたが、ひとはのエロ本趣味は「エロスへの興味」というよりも、レトロサブカルチャーへの興味が強いように思われます。斜め視点で生きているのかなと。
だから実際に性的な出来事に対してはちゃんと恥じらうし、防御もします。でもドラマの濡れ場で驚いたりしないのはちゃんと前提たる知識を持っているからなのかなーと思いました。
そんないきいきとした子供達を描く「みつどもえ」ですがー。

ごめんね、おじちゃんはそれを見てエロいことばかり考えちゃうよ!
宮下×吉岡ばんざーい。リバもおk。
 

                                                                                                                    • -

 
チラシの裏

自分はとっておくんですが、これ。みんな捨てちゃうモノなの?

みつどもえ 1 (少年チャンピオン・コミックス) みつどもえ 2 (少年チャンピオン・コミックス) みつどもえ 3 (少年チャンピオン・コミックス) 
みつどもえ 4 (少年チャンピオン・コミックス) みつどもえ 5 (少年チャンピオン・コミックス) みつどもえ 6 (少年チャンピオン・コミックス)

*1:以前と比べて増えたか減ったかはよくわかりません。TLを除いたとしても微妙に増えているかもですね。