たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

生きてくれ。

いじめ、自殺の記事が毎日のように報道され、「ほらこっちでもあったよ」「ありゃこっちでも自殺未遂だよ」とどんどんサーチライトで照らされています。
正直、ここ何日か、そのことについて書きたくて書きたくて書きまくったテキストファイルが山のよういになっているんだけど、とてもじゃないけど載せられない。なんかね、感情的になっちゃってあかんのですよ。それに言っていることもありきたりな正論ばっかりで、視点がふわふわしすぎ。
どうやって書いても、もやもやが解決されないんですヨ。そういう人自分だけじゃないと思います。2ちゃんの書き込みにしても、ブログにしても、日常会話にしても、きっとモヤモヤしたままだと思います。
焦点をどこに定めればいいのやら・・・。死んだ後もいじめ続けるクラスメイトの話とか聞いていると、こっちまで生きるとか死ぬとかの感覚があやふやになりそうで怖いです。いじめの苦しみと死についての境界線が曖昧になりそうで怖いです。
言葉として「こう思う」ってのはあるんですが、本当にそうなの?ってなると、マジでわからないですよ。感覚狂っちゃったなあ。
 
お前ら!生きろ!死ぬ気で生きてくれ!のログ置き場明日は明日の風が吹くより)
お亡くなりになってから、1年になるんですね。最後まで読むまでめちゃくちゃ時間かかりましたこの記事。長いからじゃないんです。
怖い。
明るいんですよ。ものすごく彼明るいんですよ。明るすぎて、彼が何かを書き込むだけで泣きたくなるし、書き込みがないならないで不安になるし。
怖い。ほかになんて言い表せばいいかわからない。「www」の文字がこんなに重いって感じたのはじめてかもしれない。
今も、こういう人たちは、ほかにもいっぱいいるんです。
いやね、友人に同じ状況だった人がいて、あまりにもその「明るさ」が被りすぎて、その子のこと思い出して涙が止まらないんですわw
ちょうどその子も1年になるのかな。いつも笑おうとしていたなあ。時々思い出しては、辛くなったり、頑張らなきゃって思ったりするんだけど、ガンバリストさんのように笑うほど自分強くないなあ。もちろんムリしてなるものじゃないんだけど。彼女も一日だけ、「死にたくない」って言ったなあ。それ以来二度と言わなかったけど。
 
恐ろしいもので、その子のことも日々の雑念で記憶の隅に追いやっている自分を見つけました。だからこんないじめやら自殺やら云々の問題で価値観狂うんです。ほんとにもう薄情すぎだぜ自分。
うん、できるだけ、いっぱいいっぱい思い出そう。
だって自分ら生きてるんだゼ?
自殺論についてモヤモヤしている人も、この一連の記事を読もうよ。生きてるんだようちらは。
あー、ほら、感情的になってきた。だから苦手なんですよこういう記事は!もう。ここまで!
 
生きてるって、一体どういうことなんだろうね。