たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「感想」と「批評」

本や映画の批評は知識のない「自分語り」レベルじゃ単なる「感想」だよ(愛・蔵太の少し調べて書く日記)RinRin王国より)
SFに関しては詳しくないのでわからないのだけど、ちょっと心に残るエントリだったので。

「アカデミズムな人は、数少ない読んだ本で自分語りをしたいだけなんだ」ということがわかりました。狭い穴(深いことは深いけれども)と少ない素材(素材的には美しかったり新しかったりするけれども)で、自分たちの知識の乏しさを隠している。ぼくは人の話を心のこもらないやりかたで聞くのは嫌いではないのですが、十分な知識と斬新な見方で何かを言ってくれる人のほうが興味深いわけです。

作品の種類にもよるのかな?
まず、プロじゃない人の場合。
自分はアホなので、「シンプルな感想」が大好きです。その人がどう感じたか、どのような視点で見たか、ストレートにバーン!と叩きつけてくれる、よく言えば率直、悪く言えば俗っぽい、そんな「感想」が大好きです。だってわくわくするもん。それが、「感想であり自分語りである」と理解して書いている人は、繊細なものを書けるだろうな、とも思います。ただし、それがわかってないとこうなる。

「感想」なのがわからず「批評」したつもりであら探しばかりで、毒舌だと思っている文章は個人的には苦手です。それを楽しめるほど自分の心は余裕がないw
 
はて、プロが批評するとなると。
やはりそうなると「シンプルな感想」も読みつつ、「しっかりと理解された批評」も読んで自分の糧にしたいな、と思います、やっぱり。こういうのを求めてしまう感覚が「サブカル的選民意識なんじゃないの?」と言われるとグゥの音も出ないんですが。
もちろん、作者の人生すべてを知っていて知識量も多いからよい批評がされるかというとそんなことはなく、やっぱりストレートな感受性のアンテナの高さ、それを表現する力も求められると思います。時には、それだけのほうがよい(作者の経歴や裏づけを変に探らず、作品単体のよさを知る)こともあるかもしれません。
ただ、ここにあげられたSFなんかは、その方面の知識ある人に認めてもらわないとキツいだろうなあ。
 
はて、自分は雑食オタクなので、きっと「これスゲー!」っていう感想ばっかり書いていくと思います。それが「底がちょっと浅いかもよ?」といわれたら、ほんともうしわけないけどそのとおりかも。ただ、そういうのをムリしてちょっと調べて書くことで、得られる物も増えたと思うので、今後も無知な自分が無知を知るためにいろいろしらべたり読んだりして書きます。
ほーら自分語りになっちゃったヨ。ぽてちん。