たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「トラウマ」と「なんちゃってトラウマ」(改題)

「痛いニュース」さんが一時的に閉鎖になってトラウマになりました。
はい、ここまでは挨拶です。
トラウマは誰にでもあるRinRin王国より)
自分もわりと簡単に「うわあこれトラウマだ!」とか使います。ベンリなんですよね、「すげえ」と同じで、物事の感動度をあらわすのにはもってこいなんです。
「あの作品はトラウマだよ!」って。ほめ言葉ですよねコレ。
しかし、ここに書かれているように、本当に「心的外傷」になってるものってほとんどないですよネ。
たとえば、「エヴァがトラウマだ!」なんてよく自分も使いますが、確かにあれで人生の一部の見方変わったのも確かだしオタク化確定もしましたが、別にそれで生きたり死んだりしません。中にはいたのかもしれないけど自分はそれはない。
 
こういうの、本来のトラウマと違うと思うので「なんちゃってトラウマ」と仮に名づけておきます。(追記・ご指摘があったので変更してみました。)
「トラウマ」って言葉の表面だけなぞって使用する例、ってことで、今後もますます発展していくことでしょう。
それが悪いかというとそんなことはないと思います、言葉として。
ただし、なんちゃってトラウマとトラウマは分けなければいけない、とこのエントリを見て深く思いました。
 
実際にトラウマを抱える人は、「トラウマだ」なんて言葉はいえません。
フラッシュバック体験がある人は、そのことを口に出すことすら恐怖なのです。
そして、それは認めたくないことだから、脳みその引き出しから引き出すことすらためらわれるし、引き出したとき自分がどうなるかも考えたくもない。
そこが危険でもあるんですよね。医者なり誰かなりの話さないと、それを治療することができないですから。
「○○がトラウマです」と語るまで、数年、いや一生かかる人もいます。
だから、もう一度書きます、本当のトラウマを抱える人は、トラウマなんて言葉は言えない。

 本人にとってもも周りにとっても病気なのかはっきりしない点が最大の問題じゃないかなあ。
病気だからと言って何でも許される訳でもないし、病気じゃないからと言って気持ちだけで何とかなる訳でもない。
RinRin王国より)

なんちゃってトラウマとトラウマの関係を短く、そしてすごく明確に書いていると思うのでそのまま載せます。
 
エントリにもあった「失恋」のトラウマ。これすごく微妙な位置だと思うんですよ。
たとえば、ある人は「おれ失恋のトラウマあるから恋愛苦手でさー」という人は、「なんちゃってトラウマ」なわけです。なんちゃってトラウマを盾にして逃げ続ける人は、それはそれで自分のためにはならない道を選んでるね、ってことです。
しかし、失恋が本当に「トラウマ」になる場合もあります。
はたから見ればそれは「彼氏(彼女)なんてまたできるだろうに?」って思うことも多々あるのですが、人によってはそれを支えるだけの心の柱ができていない場合もあります。
なぜかって、病気だから。それが「うつ」
 

  (○)トラウマ
  /\
//\\

 
人間の心はもろいもろいとは言いますが、柱は一本ではないので案外支えられるもんです。
それが失恋だったり、仕事での挫折だったり。人によっては耐えられるのは柱が多いから。
しかし、
 

    トラウマ
  /  ミ○
//\

 
科学的に言ってしまえば「不安を軽減できる物質が出ない」人、うつ病の人は、その支えがないのでそれはトラウマとして刻まれてしまいます。
心も簡単に壊れてしまうでしょう。
逆に「躁(そう)」の人だと逆に心の傷で活動が盛んになったりするのでますますわかりませんが、ほっとくと危険なので厄介です。
 
その支えの補助をするのが、医者からでる薬なわけなので、「おれちょっくらヤバイかもなあ」と思ったら
気軽に精神科にいって薬をもらうことをすすめます。
あれは心を治す薬じゃなくて、「支える柱を育てる薬」です。

でも問題は言葉の使い方どうこうよりも、”トラウマだから”っていうのを言い訳にすればなんでも許されると思ってるヤツがいるってことですよ。
じゃあ一旦トラウマになってしまった事はどうあがいても乗り越える余地はないのかと。
トラウマによる苦しみがどれほどのものか本当に知ってるのかと。トラウマのせいで死ぬほど苦しんだことがあるのかと。思い出したらちょっと嫌な気分になるぐらいでトラウマとか言ってんじゃねえと。

なんちゃってトラウマを言い訳にして逃げる行動は、「風邪だから、休んでいいよね、オネガイ☆」というのと同じかもしれませんネ。
逆に、本当のトラウマを抱えている人はそこからいかにして脱却するかと本気でもがいています。
なんちゃってトラウマを「トラウマ」と呼称して会話や文章に書くのは、ベンリなのでかまわないと思いますが、人生の言い訳にはならないという点は非常に同感です。
普段からトラウマトラウマ言っている人が、本当のトラウマに出会ったらどうなるんだろう?
 
そして、病気をひそかに抱えている人の本当のトラウマは、なかなかわからないものですが、時には急激に発露したりします。
こればっかりは誰にも出来ない、本人にしかできない戦いの第一歩。それが「トラウマを認めること」。
苦しいだろうし、フラッシュバックで死にそうになるけど、これを踏み出すのは自分しかいない。
うつやトラウマに悩まされている人たちへ。
薬に「逃げる」んじゃなくて、薬に「支えて」もらう軽い気持ちで。なにも悪いことではないです。
そして、その一歩を、時間をかけてでも踏み出せますように。